礼拝 2024年5月12日 午前10時30分

礼拝 2024年5月12日 午前10時30分-10時30分
教会学校は、月二回で再開します。次回は5月12日。午前9時30分
祈祷会は、次回は2024年5月15日(水)です。午前10時30分。 
マスク着用は、すべて任意です。
https://www.facebook.com/kurihamachurch/live/ 
礼拝ライブ中継 音声だけです。映像はプライバシーを考慮してピントを外しています。
以前の録画はこちらから⇒https://www.facebook.com/kurihamachurch/videos

前  奏・・・「尊き御神の統べしらすままにまつろい」(J.L.クレプス)
招  詞・・・93-1-48
讃美歌・・・17「聖なる主の美しさと」
交読詩編・・・詩57編7-12節
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・120「主はわがかいぬし」
聖  書・・・テサロニケの手紙 一 2章13-16節
祈  祷 
讃美歌・・・451「くすしき恵み」
説  教・・・「希望に生きる」
祈  祷
役員・CS教師任職式 
讃美歌・・・411「うたがい迷いの」
献  金 
感  謝
主の祈り・・・93-5-B(裏面参照)
頌  栄・・・25「父・子・聖霊に」
祝  祷
後  奏 
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聖書 あれこれ(2024.5.12)

兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。
ガラテヤ5章13節
「召し出された」。
特別な愛情ある呼びかけです。神様がこれと思う人を召し出したのです。何のために召し出したかと言いますと、あなたを通して、キリストの愛を世に示すためです。
自由とは罪からの自由、ということです。これはキリスト教の急所です。
別な表現をしますと、落胆からの自由です。人は、他人に落胆し、最後に自分に落胆します。人間関係は、極端にいうとそれの繰り返し、だから困るのです。
落胆とは価値がないと思うことです。もし、思いめぐらした果てがそれならばなんとも虚しいのです。
しかし、その者をイエス様が贖い、負の連鎖から解放した、そして召し出す、ここにイエス様の福音があります。
自分について思う時に、最後に行きつくのは、私は召し出された者、イエス様につながる者である、ということです。
「だから、わたしたちは落胆しません」(第2コリント4章16節)となるのです。
絆は、つながりのことですが、私たちはその絆によって、落胆の穴、罪の穴から引き上げられ、召し出されたのです。
私たちは、罪の状態から、キリストによって贖い出されている、それによってキリストの愛の業を行う者であることを知る、そのような
結論を得る事が出来る、それはキリストによるのです。
キリストは、私たちを救い出すという形で仕えてくださいました。仕えることの最初は、キリストが仕えて下さったということです。
互いに仕えなさいと聖書は語ります。仕え合うことで、キリストが仕えてくださった事を想起する事が出来ます。そして、どれだけ自分が価値ある者であるかを知る事が出来ます。それが大事です。
どれだけ自分に価値があるか、イエス様と互いに仕え合う関係、そういう関係が結ばれていることを覚えましょう。

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礼拝 2024年5月5日 午前10時30分

礼拝 2024年5月5日 午前10時30分-10時30分
教会学校は、月二回で再開します。次回は5月5日、12日。午前9時30分
祈祷会は、次回は2024年5月15日(水)です。午前10時30分。 
マスク着用は、すべて任意です。
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礼拝ライブ中継 音声だけです。映像はプライバシーを考慮してピントを外しています。
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前  奏・・・「ガリラヤの風かおる丘で」(蒔田尚昊)
招  詞・・・93-1-47
讃美歌・・・57「ガリラヤの風かおる丘で」
交読詩編・・・詩57編1-6節
信仰告白・・・93-4-2「ニケア信条」(裏面参照)
讃美歌・・・214「わが魂のひかり」
聖  書・・・テサロニケの手紙 一 2章1―12節                      
祈  祷 
讃美歌・・・408「この世のもので」
説  教・・・「救いの真理に生きる」
祈  祷 
讃美歌・・・458「信仰こそ旅路を」
聖餐式 
讃美歌・・・81「主の食卓を囲み」
献  金 
感  謝
主の祈り・・・93-5-A(裏面参照)
頌  栄・・・24「たたえよ、主の民」
祝  祷
後  奏 
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聖書 あれこれ(2024.5.5)

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える。
イザヤ書41章10節
「勢いを与えて」。
マラソンのゴール直前。どんな状況でしょうか。スタートの頃のように溌剌としている、ということはないでしょう。倒れそうであるかもしれません。あと少し、力が必要です。
伝道者パウロは、聖書の言葉をよく知っていいます。イザヤ書のこの標記の言葉も知っていたことでしょう。何しろ「律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」(フィリピ3章5-6節)から。
他にも、ペトロからイエス様から祈られたことを聞いていたことでしょう。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」(ルカ22章32節)ことについても。
だからパウロは、たじろぐようなことがあると、祈られていることを思い起こします。そして、手紙を書きます。
エフェソ書6章22節に、「わたしが適切な言葉を用いて話し、福音の神秘を大胆に示すことができるように、わたしのためにも祈ってください」と手紙を書くのです。
ペトロのあの時、自ら祈ることもできない状況ではなかったかと思います。赦しを乞うこともできない状況ではなかったかと思います。しかし、立ち直ったのは、イエス様の祈りです。
イエス様は続けます。「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22章32節)。
祈られることによって前へと進んでいくことが出来る、勢いを得、奮い立つことが出来るのです。教会は祈りの共同体ですが、祈り祈られる共同体です。私たちは祈りで勢いを得るのです。

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礼拝 2024年4月28日 午前10時30分

礼拝 2024年4月28日 午前10時30分-10時30分
教会学校は、月二回で再開します。次回は5月5日、12日。午前9時30分
祈祷会は、次回は2024年5月1日(水)です。午前10時30分。 
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前  奏・・・「天に在します我らの父よ」(J.S.バッハ)
招  詞・・・93-1-46
讃美歌・・・6「つくりぬしを賛美します」
交読詩編・・・詩56編9-14節
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・127「み恵みあふれる」
聖  書・・・テサロニケの手紙 一 1章1―10節
祈  祷 
讃美歌・・・405「すべての人に」
説  教・・・「信仰の豊かさの中に生きる」
祈  祷 
讃美歌・・・403「聞けよ、愛と真理の」
献  金 
感  謝
主の祈り・・・93-5-B(裏面参照)
頌  栄・・・29「天のみ民も」
祝  祷
後  奏 
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聖書 あれこれ(2024.4.28)

小雨を待つように、春の雨に向かって口を開くように、彼らはわたしを待ち望んだ。
ヨブ記29章23節)
4月。新年度。新しい道を春風と共に進まれていることと思います。
春風といいますと、唱歌「春風」(作詞:加藤義清)を思い浮かべる方、多いかもしれません。  ♪吹けそよそよ吹け 春風よ 吹け春風吹け 柳の糸に・・・♬
このメロディ、映画「東京物語」で形見の時計を渡した場面のあとに流れます。
こちらは「夕べの鐘」(作詞:吉丸一昌)で、児童の合唱でながれます。
♪昔の人 今や何処 訪れ来て たたずめば・・♬ 吉丸一昌は「早春賦」の作詞者。
このメロディの元は「主人は冷たい土の中に」(1852年)で作詞作曲は、アメリカ人のスティーブン・フォスターです。彼は「ケンタッキーの我が家」の作詞作曲者です。
元の歌詞(訳詞:武井君子)は、
♪青く晴れた空 白い雲 そよ風優しく 昔を語る 思い出す あの笑顔 眠れよ静か
に 静かに眠れ・・・♬ 
この歌詞、もとは農園の主人を悼む歌のようです。その点で考えますと、映画の「東京物語」はうまく合っている感じがします。
このメロディ、讃美歌にはありませんが、聖歌519番(作詞:J・C・ラドゲート、訳詞:中田羽後)の、
 ♪世には良き友も かずあれど キリストにまさる 良き友はなし・・・♬
となります。
それぞれどこかで歌詞を含めて、いろいろな場面で聞いた事、あるでしょう。
春の雨は雪解けの水を増やすことになり、水量が増えれば、乾燥地域が潤い、農作物の生長生育を促すのだそうです。春の雨は収穫を予想する雨でもあるのです。春の雨は人々の喜びの雨、だからって、雨に向かって口を開けなくてもいいかと思うのは、現代人の考えでしょう。
大きな口をあけて降る雨を喜ぶ・・・。
「春雨じゃ濡れて行こう」は、新国劇「月形半平太」で、主人公が言う有名な台詞。
春の雨を聖書の言葉に例えて、わが身の成長を予感させる糧として受け止めるとするなら、口を開けて雨を待つ心も理解できるでしょう。

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礼拝 2024年5月21日 午前10時30分

礼拝 2024年4月21日 午前10時30分-10時30分
教会学校は、月二回で再開します。次回は5月5日、12日。午前9時30分
祈祷会は、次回は2024年5月1日(水)です。午前10時30分。 
マスクは、讃美歌などの発声時、それ以外は任意です。
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礼拝ライブ中継 音声だけです。映像はプライバシーを考慮してピントを外しています。
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前  奏・・・「神のみ言葉は」(C.S.ラング)
招  詞・・・93-1-45
讃美歌・・・55「人となりたる神のことば」
交読詩編・・・詩56編1-5節
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・206「七日の旅路」
聖  書・・・フィリピの信徒への手紙4章15-20節
祈  祷 
讃美歌・・・433「あるがままわれを」
説  教・・・「必要なものは満たされる」
祈  祷 
讃美歌・・・351「聖なる聖なる」
献  金
感  謝
主の祈り・・・93-5-A(裏面参照)
頌  栄・・・28「み栄あれや」
祝  祷
後  奏
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聖書 あれこれ(2024.4.21)

しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。
命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。
                           創世記45章5節
ヨセフ物語。
ヨセフ、エジプトへ。
兄弟たちに疎まれ、殺されそうになり、エジプトへ売られて、今再会の時を迎えました。死んだと思っていたヨセフとの再会です。
兄弟たちは、飢饉により困窮しています。ヨセフはエジプトの№2。立場は逆転、何でもできます。恨みを晴らそうと思えば、それも可能。誰もそれを止める者はいないのです。
しかし、ヨセフは、いま私がここにいるのはと語り出し、その理由を述べているのが標記の箇所。
今ある自分をどう考えるのか。その時に、このヨセフ物語は、示唆することが多いのではないかと思います。
兄弟たちに続いて、父ヤコブも再会を果たします。もとはと言えば、父ヤコブのヨセフへの偏愛が兄弟間の不和、嫉妬を生んだのでした。父としては、決して良い点数をつけられないと思います。
聖書は、一つの視点を私たちに示唆してくれています。
ヨセフ物語は、創世記37章から始まりますが、創世記1章から、創世記、出エジプト記・・・旧約39巻、新約27巻へ。
父ヤコブは、もしかしたら、至らない自分を嘆いたかもしれません。あの時ああして置けばと悔やんだかもしれません。
父ヤコブは、ヨセフに再会し、喜びを得ます。これは得難い喜びで、功績を積んだとしても得られるものではありません。
「ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう」(創世記46章4節)は、主なる神のヤコブへの言葉です。
見開いたままではない、閉じてくれる者がいる幸い、それを味わうことができる読後感を、読み終えたときに得られることでしょう。

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礼拝 2024年4月14日 午前10時30分

礼拝 2024年4月14日 午前10時30分-10時30分
教会学校は、4月から、4月7日、14日。月二回で再開します。
祈祷会は、次回は2024年4月17日(水)です。午前10時30分。 
マスクは、讃美歌などの発声時、それ以外は任意です。
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礼拝ライブ中継 音声だけです。映像はプライバシーを考慮してピントを外しています。
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前  奏・・・「Simple Gifts」(ウイルバー・ヘルド)
招  詞・・・93-1-44
讃美歌・・・3「扉を開きて」
交読詩編・・・詩55編1-9節
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・129「私の望みは」
聖  書・・・フィリピの信徒への手紙4章10-14節                      
祈  祷 
讃美歌・・・534「キリストの使者たちよ」
説  教・・・「いかなるときにも」
祈  祷 
讃美歌・・・536「み恵みを受けた今は」
献  金 
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主の祈り・・・93-5-B(裏面参照)
頌  栄・・・27「父・子・聖霊の」
祝  祷
後  奏 
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聖書 あれこれ(2024.4.14)

モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。                                 出エジプト記14章13節
カードゲーム。ポーカーのゲーム用語に「ティルト」というのがあり、意味は、プレイヤーの合理的な判断が出来ない心理状態のことを言うようです。カードゲームに詳しいわけではありません。でも心理的な状態を表わすゲーム用語があるというのは、「賭けること」が前提のゲームだからでしょう。「○○抜き」、「七並べ」では聞いたことがありませんから。
人は常に正しく合理的な判断を続けることは難しいのです。
出エジプト。王の許しを得て(出エジプト記12章31節)、エジプトを脱出します。しかし、しばらくしますと、エジプトの大軍が追いかけてくるのが見えます(14章5節以下)。忘れ物を届けるための大軍ではなく、明らかに連れもどして労役を課すための大軍です。それがエジプトの合理的な判断と言うことです。奴隷がいないと困るのです。
ではこちらの側の合理的判断とはどんなことでしょう。
前には海があり進めません。後ろにはエジプトの大軍・・・。
合理的判断とは、ある理屈の物差しに当てはめて考えることです。エジプトの大軍が来る、腕っぷしの強さを物差しとするなら、答えは一つ。うちそろって平伏して静かに大軍の到着を待つしかありません。主に頼むなら、この場合もうちそろって静かに高みの見物的な・・・。
しかし、民は静かに平伏する選択をしませんでした。自分たちの心に従ったのです。
「イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、また、モーセに言った。『我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか』」(14章10-11節)。
叫んだ、主に対して、モーセに対して。合理的に考えることをやめています。
周りからみますと、見苦しい感じです。いかにも取り乱した感じを受けます。
ルカ福音書、主イエスと一緒に十字架につけられた犯罪人の一人、これまでどんな合理的な判断をしてここにいるのでしょうか。その都度、自分では正しい判断をしたと思っていることでしょう。その結果の十字架刑です。
皆、自分は正しい判断をしてここまで来たと思っています。しかし、どうみても自分の行きついた場所は、自分の望んでいる場所ではありません。主イエスの十字架の隣、とんでもないところです。でもとんでもない所にこの囚人はいますが、1人ではないのです。
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った」(ルカ23章42節)とあります。誰が考えても、不合理な、自分勝手な、傲慢な、虫の良い要求の叫びです。
出エジプト、うろたえ叫んだ民の声を聴き、主なる神はモーセに向かって「杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。」(14章16節)と語ったのでした。
主イエスは、「わたしを思い出してください」と語る犯罪人の一人に向かって「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23章43節)と語ったのです。
私たちは、主なる神の憐みにゆだねて生きてゆくのです。主イエスは、私を愛するのです。うろたえて取り乱す私たちを愛する神の愛の中に私たちは生きるのです。

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