2017年2月26日 礼拝:午前10時30分-11時30分

前  奏・・・「ああ神よ、天よりみそなわし給え」(J.パッヘルベル)
招  詞・・・93-1-26
讃美歌・・・4「世にあるかぎりの」
交読詩編・・・詩146編1-2節
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・149「わがたまたたえよ」
聖  書・・・ルカによる福音書20章27-40節
祈  祷
讃美歌・・・453「何ひとつ持たないで」
説  教・・・「復活問答」
讃美歌・・・529「主よ、わが身を」
献  金
感  謝
主の祈り・・・93-5-B(裏面参照)
頌  栄・・・24「たたえよ、主の民」
祝  祷
後  奏
報  告 (CS礼拝は午前9時15分 中継は下記から)img_4388-2

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聖書 あれこれ(2017.2.26)

3月1日、この日は「灰の水曜日」で、この日から受難節となります。
受難節は、イースター前の6回の日曜日を除いた40日間のことです。
40という数字は、イエス様が宣教を開始する前に体験した荒れ野での試練の日数に由来するといわれています。他にも、出エジプト後の荒れ野での40年間など、関連する数字があります。
なので、受難節の期間は、イエス様が私たちの罪のために十字架の上で死なれたことを覚え、節制と祈りの生活を送ることが勧められてきました。
現在、私の知っているところで、断食などをする教会は知りませんが、節制するということから、その前に楽しもうということで、世界で行われるカーニバルは、その直前に行われるようです。リオのカーニバルは、その代表的なもので、今年は2017年2月24日(金)に始まり28日までとなっているようです。
イースターの前の週の日曜日を「棕櫚の主日」と言います。この日からイースターまでの日を受難週と呼びます。今年は4月9日からです。
受難週の木曜日は、「洗足の木曜日」と呼び、久里浜教会では、聖餐消火礼拝を午後6時から行います。足を洗いあうことは致しません。
翌日の金曜日には、「受難日」となり、この日には受難日祈祷会を午後2時から行っています。この日にイエス様が十字架上で死に、葬られたのです。
金曜日、土曜日、日曜日、イエス様は、三日後の朝早く、復活しました。このイースター(復活)は、教会の最も大事な日です。
イースターを経験する者は、死に勝利したイエス様を喜ぶことであり、勝利にあずかることでもあります。
イースターの日の決め方は、「春分の日」の後の最初の満月の次の日曜日となっています。移動祝祭日で、このようになったのは、325年のニケア公会議においてです。現在、一部の教会で一致しないのは、久里浜教会(プロテスタント)、カトリックは、グレゴリオ暦を使っていますが、ギリシャ、ロシア教会などはユリウス暦を用いていますので、その違いがあるのです。img_4469

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2017年2月19日 礼拝:午前10時30分-11時30分

前  奏・・・「われらが悩みのきわみにあるとき」(Margarete Jacobi)
招  詞・・・93-1-25
讃美歌・・・8「心の底より」
交読詩編・・・詩145編17-21節
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・83「聖なるかな」
聖  書・・・ルカによる福音書20章9-19節
祈  祷
讃美歌・・・408「この世のもので」
説  教・・・「ぶどう園の教え」
讃美歌・・・579「主を仰ぎみれば」
献  金
感  謝
主の祈り・・・93-5-A(裏面参照)
頌  栄・・・25「父・子・聖霊に」
祝  祷
後  奏
報  告 (CS礼拝はありません。合同です。中継は下記から)img_4484

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聖書 あれこれ(2017.2.19)

まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。アモス書5章4節
昔「ウルトラマン」というテレビ番組(1966-1967)がありました。宇宙から来たヒーローで、地球に到着したときに、科学特捜隊のハヤタ・シン隊員と衝突して命を奪ってしまったので、その人の中に入り、一緒に地球の平和を守るということで、怪獣が現れると変身して登場、退治するというものでした。
さて、地球での活動が過酷で瀕死の状態になり帰ることになりました。抜け出れば地球人は死んでしまいますが、迎えに来た人が命を二つ持ってきたので、一つを地球人に与えることによって、目出度し目出度しという大団円でありました。
SFですから、荒唐無稽でよいのですが、命が外にあって、人に注がれるように与えるというのは、印象的なことでありました。
命は確かに一つしかありませんが、注がれるような形で命が与えられ、新たに生きるという経験は、実は教会に集う方の共通の経験ではないでしょうか。
洗礼を受ける経験がもたらすものは、命を得る経験だと言ってもいいと思います。
パウロは、元迫害者で、キリスト者を倒すことに全力を尽くしておりました。そのパウロを伝道者として選び立てたのは、イエス様でした。
この経験、イエス様の出会いをパウロは1コリント15章10節で「神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」と語っています。
「神の恵み」は注がれるもの、与えられるもの、無駄にならず、共に働くものだと語ります。
命が与えられ、そして新しいことが始まる、それが神の恵みの中身だというのです。
洗礼によって、私たちは死に、新しい命に生きるのです。「お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」(エゼキエル書18章31節)。
私たちは、イエス様によって、命を得て、死んではいけない存在、恵みによって生きる存在となっているのです。img_4473-2

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2017年2月12日 礼拝 午前10時30分-11時30分

前  奏・・・「我が心よ、めざめよ」(J.S.バッハ)
招  詞・・・93-1-24
讃美歌・・・6「つくりぬしを賛美します」
交読詩編・・・詩145編10-16節
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・59「この地を造られた」
聖  書・・・ルカによる福音書20章1-8節
祈  祷
讃美歌・・・460(1-4)「やさしき道しるべの」
説  教・・・「希望を与える権威」
讃美歌・・・536「み恵みを受けた今は」
献  金
感  謝
主の祈り・・・93-5-B(裏面参照)
頌  栄・・・26「グロリア、グロリア」
祝  祷
後  奏
報  告 (CS礼拝は、午前9時15分 中継は下記から)27858368_unknown

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聖書 あれこれ(2017.2.12)

なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。                 ローマ書3章 28節
信仰。
「あなたの信じているものはなあに?」
神、イエス、聖霊からはじまって、人、物、様々でしょう。これから登山に行く人は、登山用具全般を信じている、というかもしれません。
神を信じると答えるとしても、次の質問が出てきたら嫌だなと思います。
「どこにいるの?」
信仰というのは、「キリスト教の信仰」というように、内容全般を言う場合もありますが、主な意味として用いているのは、委ねていることの中身ではないかと思います。仰ぐ対象というよりも、委ねられるお方です。
野球のキャッチボールは、球が行き交うことですが、その都度、球は相手のグローブの中に納まります。下手だと、球をそらしてあたふたと拾いに行くことになります。
球は、大袈裟にいえば、相手に受け入れられ、私もその球をしっかりと受け入れます。
委ねよう、受け入れられている、それが信仰の喜びです。
人が義とされる、自他ともに正しいとされるのは、律法を守ることによってではない。信仰による、そうなると、その中身について考えます。
「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと」(1コリント15章3節)、それが中身です。
ここに私は委ねています。そしてこの聖書の箇所は、しっかりと「わたしたちの罪のため」と書くことによって、しっかりと私たちを受け入れていることを語っています。これこそが、私たちの「生活のよりどころとしている福音」(1コリント15章1節)、良い知らせです。
信仰とは、福音に身をゆだねていること、罪のために死んだイエスに委ねていること、それが信仰の中身です。img_2976

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2016年クリスマスイブキャンドルサーヴィス

2016年クリスマスイブキャンドルサーヴィスでの献金は、以下の三団体に各1万円を献金させていただきました。ご協力ありがとうございました。img102

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