2017年8月27日 礼拝:午前10時30分-11時30分

前  奏・・・「ガリラヤの風かおる丘で」(蒔田尚昊)
招  詞・・・93-1-8
讃美歌・・・19「み栄え告げる歌は」
交読詩編・・・詩15編1-5節
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・57「ガリラヤの風かおる丘で」
聖  書・・・ガラテヤの信徒への手紙6章11-18節
祈  祷
讃美歌・・・497「この世のつとめ」
説  教・・・「キリストの恵み」
讃美歌・・・534「キリストの使者たちよ」
献  金
感  謝
主の祈り・・・93-5-B(裏面参照)
頌  栄・・・25「父・子・聖霊に」
祝  祷
後  奏
報  告  (CS礼拝は、午前9時15分 礼拝中継→礼拝

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聖書 あれこれ(2017.8.27)

万軍の神よ、わたしたちを連れ帰り、御顔の光を輝かせ、
わたしたちをお救いください。                  詩80編4節
詩80編、標記の言葉が4節、8節、20節にあります。
光が輝くとき、救いが訪れます。光が輝くとき、光に照らされる者がいます。
使徒言行録9章では、パウロは「突然、天からの光が彼の周りを照らした」(3節)、「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった」(18節)のです。
天地創造の最初の言葉は「光あれ」です。光の中ですべてのものは作られました。私たちは、だから、闇の子ではなく光の子です。
光の子の祈りとして、詩編80編では、3度繰り返しているのでしょう。あなたの光の下で、光に照らされて生きること、それこそが私の救いであり希望ということです。
聖書には光についての記述が数多くあります。天地創造から始まって、黙示録22章9節の「もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである」まで。
詩119編130節に「御言葉が開かれると光が射し出で、無知な者にも理解を与えます」とあります。
私たちは、主なる神様の救いの計画について、無知な者であり、無理解な者です。しかし、この光によって、パウロ(サウロ)のように、目からうろこのようなものが落ち、理解を得ます。
私たちは、救いについて、以前はしっかりと忍耐強く学習し、律法を守ることであると考えていましたが、それでは誰も救いを得られないのです。
「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(ヨハネ福音書8章12節)。
私たちの救いは、イエス様にある。イエス様が世を輝かせる光としてあなたの住む世に来た、そしてここにいる、と語りました。一つの輝く頼りとなる光があるのですから、その道をイエス様と共に歩んでいきましょう。

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2017年8月20日 礼拝:午前10時30分ー11時30分

前  奏・・・「前奏曲」(H.Gotze)
招  詞・・・93-1-7
讃美歌・・・487「イェス、イェス」
交読詩編・・・詩14編1-7節
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・205「今日は光が」
聖  書・・・ガラテヤの信徒への手紙6章1-10節
祈  祷
讃美歌・・・417「聖霊によりて」
説  教・・・「主の栄光のために」
讃美歌・・・507「主に従うことは」
献  金
感  謝
主の祈り・・・93-5-A(裏面参照)
頌  栄・・・26「グロリア、グロリア」
祝  祷
後  奏
報  告 (CS礼拝はありません。合同です。中継は→礼拝)礼拝後、夏の集い

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聖書 あれこれ(2017.8.20)

しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。
第1ペトロ2章9節
万人祭司。
プロテスタントの大切な考え方の一つで、私たちは祭司であるということです。
祭司の役割、レビ記9章を読みますと、民が罪の贖いのために持参した動物の献げ物を神様に献げること、つまり仲介の役割を担います。
モーセの兄アロンは、出エジプト記6章には、その子孫は祭司の務めを果たすことになります。
アロンは、出エジプト記6章28節-7章1節では、弁舌の達者でないモーセの口となるとあります。
そうしますと、祭司というのは、仲介者であり、神の言葉を語ること、証しすることにおいて、弁が立つ者ということです。
仲介者であり弁舌さわやかな者が祭司で、それが私たちだというのです。
江戸時代、将軍に直接会える人を御目見え、そうでない者を御目見え以下と区別していたのですが、万人祭司は、すべての者は、仲介者でありキリストの使者であるということです。
マタイ16章18節に「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」とあります。
プロテスタントでは、ペトロ個人というよりもペトロと同じ信仰を告白した者とい
うことで、私たちのことと理解しています。
私たちは、神の愛のゆえに、イエス様によって贖われた者です。その者が祭司な
のです。
そうであるなら、次の聖書の言葉はより私たちを力づけるのではないでしょうか。「祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりに
なる」(マルコ11章24節)。

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いざという時のために。

階段をいかに降りるか。「おすわり担架」購入。

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2017年8月13日 礼拝:午前10時30分-11時30分

前  奏・・・「ここに私はいます」(D.C.デーモン)
招  詞・・・93-1-6
讃美歌・・・15「みことばにより」
交読詩編・・・詩13編1-6節
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・123「ひらけ,とこしえの扉よ」
聖  書・・・ガラテヤの信徒への手紙5章16-26節
祈  祷
讃美歌・・・343「聖霊よ、降りて」
説  教・・・「霊の実を結ぶ」
讃美歌・・・481「救いの主イェスの 」
献  金
感  謝
主の祈り・・・93-5-B(裏面参照)
頌  栄・・・27「父・子・聖霊の」
祝  祷
後  奏
報  告 (CS礼拝は午前9時15分 礼拝中継は→礼拝

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聖書 あれこれ(2017.8.13)

最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。       第1コリント15章3-5節
聖書のみ。
「信仰のみ」、「万人祭司」と並んでプロテスタントの三大原理の一つです。
要するに、聖書が大事ということです。
カトリック教会は、聖書と伝承を大事なものとしたので、それに対しての聖書のみということです。
また、権威として、私たちは何に服すべきかということで、カトリックでは、教皇、教会会議も権威あるものとしていますが、ルターは、聖書のみに権威があるとしたのです。だからここでも「聖書のみ」なのです。
「日本基督教団信仰告白」に聖書について私たちが信じる中身が簡潔に記されています。「旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。」です。
信仰者も教会も、その歩みは聖書が指し示す、ということです。
ただし、ご覧のようにと言うべきか、カトリックは権威ある教皇を中心に分裂を繰り返すということはありませんが、プロテスタントは物言わぬ聖書であり、私たちの心の内に語りかける神の言葉に権威があるということで、我が道を行く形となり、分裂は避けられないこととなりました。
プロテスタントには、数えきれないほどの教派があって、複雑だなあと思うこともありますが、直接神の言葉が届くと考えますと、神様との近さを感じることができます。
「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」は、聖書から直接、どんな時も聞くことが出来ます。それは大きな私たちの支えです。

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