2018年2月18日 礼拝:午前10時30分-11時30分

前  奏・・・「あがないの主に」(G.F.カウフマン)
招  詞・・・93-1-30
消  火
讃美歌・・・309「あがないの主に」
交読詩編・・・詩29編1-11節(A、B区別しません)
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・196「主のうちにこそ」
聖  書・・・フィリピの信徒への手紙1章12-21節
祈  祷
讃美歌・・・518「主にありてぞ 」
説  教・・・「キリストを生きる」
讃美歌・・・529「主よ、わが身を」
献  金
感  謝
主の祈り・・・93-5-A(裏面参照)
頌  栄・・・312(5)「栄光は」
祝  祷
後  奏
報  告 (CS礼拝はありません。合同礼拝です。中継は→礼拝

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聖書 あれこれ(2018.2.18)

その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。
使徒言行録16章9節
第二回伝道旅行、当初の予定では、ぐるりと現在のトルコを時計回りに行く予定でしたが、使徒16章6節以下を読みますと、「イエスの霊がそれを許さなかった」(7節)ので、結果、エーゲ海を渡って、「マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った」(12節)のです。
これは予定とは違うことでありました。予期せぬ道、出来事です。
出発に先立って、どれだけの準備をしたのか、細かなことはわかりませんが、使徒15章36節以下を読みますと、当初はバルナバと同行の予定でしたが、マルコという人をめぐって争いが起こります。パウロは連れて行きたくないと主張し、バルナバは反対します。とうとう決別してそれぞれの道を行くことになります。パウロにとって、行く道に関して、妥協できなかったのです。
そして、またであります。今度の相手は、イエス様です。どうするのか。さすがに困ったかもしれません。
行く道は自分で決める、それがバルナバとの決別となりました。
「わたしは道であり・・・」(ヨハネ福音書14章6節)と語るイエス様の言葉には、二つのことが語られているように思えるのです。
行く道。どの道を行くのか、どこへ行くのか。自分で決めることだと思うのです。選択肢が多くあることは、喜びでありますが、一方で誇らしい気持ちにもなります。それは、場合によっては謙虚さを奪うことになるかもしれないということです。主にある同労者との関係、バルナバとの関係に影響を与えました。
どの道を行くのか、その選択はどうするのか、いつも考えることですが、与えられる道もある、ということです。
想定外の道を行くことになるパウロたちですが、そこで得たものは、この道は、イエス様が与えた道であるということです。選ぶのではなく、与えられることを受け入れる、その選択もあるのです。どの道も恵みの中にあり、恩寵として与えられるものであることを覚えつつ、私たちの道を行くことといたしましょう。

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聖書 あれこれ(2018.2.11)

受難節(レント)
四旬節ともいいます。
イースター前の6回の日曜日を除いた40日間のことです。日曜は復活を記念する日です。だから除くのです。
受難節の始まる水曜日を灰の水曜日といいます。今年は2月14日が灰の水曜日です。イースターは4月1日です。
イエス様が宣教活動を始める前、荒野で40日間断食をされたことにならい、昔から教会の伝統では断食、節制が行われてきました。40日の断食は無理なので、日を定めて断食、節制、肉を食べないなどを行っている人もいます。
ちなみにリオのカーニバルは、これから節制の生活が始まるので、灰の水曜日の前日に終わります。
受難節の期間は、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかけられたこと、その受難を覚えるのです。
イースターの前の日曜日を棕梠(しゅろ)の主日といいます。今年は3月25日です。
この日から、イースターの前日までの1週間を受難週(3月25~30日)といいます。受難週の木曜日を洗足木曜日(3月29日)といいます。この日にはイエス様の最
後の晩餐、弟子の足を洗ったことを覚えます。
久里浜教会では、この日に「聖餐消火礼拝」を行っています。翌日の金曜日は、受
難日祈祷会(3月30日)といい、イエス様が十字架にかかられた日として覚えます。
イエス様は「十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり」(使徒信条)ます。
よみがえった日、復活の日、聖書に日曜の朝早くとありますので、この日には、イースターの早天礼拝をおこないます。
今年は、久里浜霊園の教会墓地建設予定地で行います。朝8時30分。
イースターは、春分の日の次の満月の直後の日曜日と定められています。決められたのは古く、西暦325年に開かれたニカイア公会議と言われています。

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2018年2月11日 礼拝:午前10時30分ー11時30分

前  奏・・・「我らキリスト者」(J.S.バッハ)
招  詞・・・93-1-22
讃美歌・・・16「われらの主こそは世界の王なれば」
交読詩編・・・詩28編1-9節
信仰告白・・・93-4-1-B「使徒信条」(裏面参照)
讃美歌・・・211「あさかぜしずかにふきて」
聖  書・・・フィリピの信徒への手紙1章1-11節
祈  祷
讃美歌・・・475「あめなるよろこび 聖なる愛よ」
説  教・・・「わたしの確信」
讃美歌・・・483「わが主イェスよ、ひたすら」
献  金
感  謝
主の祈り・・・93-5-B(裏面参照)
頌  栄・・・24「たたえよ、主の民」
祝  祷
後  奏
報  告 (CS礼拝は午前9時15分 礼拝中継は→礼拝

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2018年2月4日 礼拝:午前10時30分-11時45分

前  奏・・・「前奏曲」(大中寅二)
招  詞・・・93-1-21
讃美歌・・・18「こころを高くあげよ」
交読詩編・・・詩27編7-14節
信仰告白・・・93-4-2「ニケア信条」(裏面参照)
讃美歌・・・391「キリストよ、 救いの神」
聖  書・・・エフェソの信徒への手紙6章10-24節
祈  祷
讃美歌・・・497「この世のつとめ いとせわしく」
説  教・・・「悪と戦う」
讃美歌・・・534「キリストの使者たちよ」
聖餐式
讃美歌・・・79「みまえにわれらつどい」
献  金
感  謝
主の祈り・・・93-5-A(裏面参照)
頌  栄・・・29「天のみ民も」
祝  祷
後  奏
報  告 (CS礼拝は午前9時15分 礼拝中継は→礼拝

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聖書 あれこれ(2018.2.4)

さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。                         ヨナ書1章2節
預言者ヨナ。ニネベの町は、ヨナからしますと、異邦人となる町のことです。
ヨナは行かないと決めて逃げます。職務放棄ですが、列王記下14章25節では、やるべき職務は果たしていたようです。ニネベに行くことは嫌であったのです。
1章3節に「ヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった」とあるのです。タルシシュは現在のスペインの地とする説があるようです。
ヨナにとって、ニネベの悪行のことは伝わっていたかもしれません。
そのニネベを助けること。依頼は理解できますが、負担が大きいと感じたのでしょうか。想像するに、なすべきことはわかりますが、いつもそれを確実に実行できるか、そこが難しいのです。できないのです。そのヨナの気持ち、わかります。
思うほどに人は皆強くないのです。
預言者ですから、なすべきことは多くありません。「悔い改めよ」との神様の言葉を伝えることです。
しかし、それが困難になるときがあります。10のすべきことがあっても、出来ることは一つか二つ。やるべきことが果たせなくて、途方に暮れるときがあるのです。途方に暮れる、三日三晩の魚の腹の中のような暗さです。
私たちが信じることは一つです。主なる神は、「滅びの穴から引き上げてくださった」(2章7節)こと、「主の言葉が再びヨナに臨んだ」(3章1節)ことです。
「再び」呼んだのです。再びがある、ニネベにとってもヨナにとっても、私たちにも。それが私たちを支えます。

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2017クリスマスイブキャンドルサービス 報告

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