聖書 あれこれ(2017.3.19)

地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、・・・。
創世記1章2節
「混沌であって、闇」。
どんな状態なのでしょうか、想像がつくでしょうか。
昔、身近なところに闇がありました。
最も身近なところではトイレ。夜のトイレは薄暗かったです。周りは闇でありました。トイレの中心は深淵・・・。
しかし、最近は、どこも明るいですね。
闇には、得体のしれないものが住む世界ということになっています。吸血鬼は朝が嫌いです。コウモリが嫌われるのは、夜行性の動物であることに加えて、暗い洞窟を住みかとするからでしょうか。
闇に引き込まれないように、そこに住むようにならないように、と教えられてきましたが、今はその暗闇が私たちの周りから消えているようです。
加えて、昨今のマンガ世界では、闇の力を持つ方と知り合いになって、正義を行うヒーローが登場しました。悪魔くん、鬼太郎、地獄先生、妖怪ウオッチとか。このおかげでますます闇が闇らしくなくなってきました。
しかし、闇が明るくなったとしても、依然として恐れを感じるものがあるのも事実です。
罪について、私たちは依然として強い恐れを抱いているものの一つです。
隣人に対する罪、隣人(自分も、人、貧困、平和、環境、動物)と共に支え合い配慮することへの積極的、あるいは消極的な拒否は、私たちを創造し、導く神との関係を損ない、私たちの存在の意味を失わせる力として強くあるのではないでしょうか。
ここからの救いこそ、イエス様の力です。
「福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです」(ローマ書1章16節)。
私が恐れるものを破壊する力、それこそが「神の力」です。この力は、罪ある人を罰する力ではなく、救う力です。ここに私たちの救いがあります。

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