聖書 あれこれ(2017.1.29)

わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。                   ローマ書12章5節
人間はたくさんの細胞からできていて、その数は数えきれない程なのだそうです。
教会は、キリストの体で、私たちはそれに連なる部分ですが、それは細胞のような構成員ということでしょうか。
細胞の一つ一つも確かに大事なもので、生物学的には、一つ欠けても重大な危機を招くのかもしれません。でも、人は脳の機能を100%使っていないという話を聞くと、脳の細胞の一つがあってもなくてもと思ってしまいます。
1テサロニケ3章9節に「わたしたちは、神の御前で、あなたがたのことで喜びにあふれています。この大きな喜びに対して、どのような感謝を神にささげたらよいでしょうか」とあります。
聖書の世界では、キリストに結ばれた部分同士の関係は、細胞の一つを考えるような形ではなく、「あなたがた」のことを「わたしたち」が喜び合う相互の関係だといいます。細胞も細胞同士結合していますが、喜び合うという関係ではないのです。整然と整列して仕事をこなす関係です。私たちは、喜び合う交流ができる結合です。大きな違いのように思います。
それは、先立って、キリストに結ばれた私たち一人ひとりが、キリストに結ばれ喜びにあふれているからこそ生まれる関係です。
ローマ書12章6節に「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています」とあります。
部分同士の喜び合う関係は、「異なった賜物」を互いに持っていることを喜ぶ関係です。
自分にない賜物を相手が持つ、それを喜ぶ関係。また「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦し」(1コリント12章26節)む関係は、ありえない相互の結びつきですが、それを可能としているのが、キリストとの結びつきによります。
嫉妬羨望で足を引っ張り合う関係でない連帯。それがこの世界で実現している、その場所がキリストの体である教会です。教会の連帯を侮ってはならないのです。img_4442

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