聖書 あれこれ(2017.1.22)

キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。                 ガラテヤ書3章13節
贖い出す。出すということですから、移動するということです。
場所の移動、身分の移動の約束です。
律法、十戒ですが、書かれていることは真っ当なことで、難しいことが書かれているのではないのですが、さて、それを継続して完全に実行することが出来るか、そう問われると、自信喪失です。結果、呪われる者となる以外ないというのです。
呪われる場所へ、呪われる者へと移動するしかないのでしょうか。
「贖う」というのは、対価を払って買い戻すことです。
この場合、呪いの場所への移動、呪われた者の身分への移動がほぼ確定していた者が、イエス様の贖いによって、その移動がなくなるということです。
移動、贖いには、当然、対価を支払わなくてはなりません。
その対価は、イエス様です。ここにイエス様の贖いがあるのです。
「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマ書3章24節)。
呪いの身分から、義なる者への移動ということです。私たちは、義なる人、義人となります。
ヨハネ福音書14章2節に「わたしの父の家には住む所がたくさんある」とあります。そして3節に「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」とあります。
父なる神様の家にある住む所へとやがて移動するという約束です。
ここに贖い出すという「キリスト・イエスによる贖いの業」があるのです。
聖書は、その贖いの業がこのように行われたことを語っています。ここに私たちへの福音、良い知らせがあります。聖書は私たちへの良い知らせに満ちているのです。img_4386

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