聖書 あれこれ(2017.1.1)

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。         ローマ書6章4節
あけましておめでとうございます。
新年、当然ですが、世の中、「新」の字が特に目立ちます。
聖書では、「新」もありますが、「共」の字も多くあります。
私たちの歩みは、「孤」ではないということです。
歩みの先に何があるのか。死は避けられないことですが、苦難も試練も避けることはできないのです。
しかし「キリストと共に葬られ」、この言葉には、キリストと共に苦難も試練も乗り越えて歩むことが出来ることを語っているのです。
そして、「キリストと共に葬られ」るのです。その結果、一つのことが待っています。「新しい命に生きる」のです。
新しい命は、死の向こう側にあることですが、イエス様のお陰で、今、味わうことが出来ます。
それは、希望という形で味わうのです。
ヘブライ書6章19節に「わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなもの」とあります。
「錨のようなもの」を持つか持たないか。それによって、私たちの歩みは大きく違うことでしょう。
「スマホがないと」不安。
人生、スマホだけでは不安でしょう。
「スマホと錨」はどうでしょう。錨という希望、錨という人生の同伴者イエス。そのお方がこの一年、そして終わりの日まで私たちを守ります。img_4241

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