聖書 あれこれ(2016.11.27)

主よ、あなたの敵がことごとく滅び、主を愛する者が日の出の勢いを得ますように。
士師記5章31節
今日の久里浜教会の周辺の日の出は6時27分頃。日の入りは16時30分頃。
日の出はあまり見る機会は少ないですが、日没は比較的多くあるように思えます。
日の出の勢いと言っても、その時間だけ早く動くという訳では勿論なく、むしろ、日没の方が勢いよく沈む感じがしますが。
日の出に勢いを見るのは、古今東西皆が思うことなのでしょう。暗闇の世界から夜明けへ。思いをそこに重ねることはあることです。
「明けない夜はない」はシェイクスピアのセリフで、広く有名な言葉です。この言葉だけを切り出すと、だんだんと東の空が明るくなって、日の出を待つときの心境を言い表す感じです。明るくなってきたのだから、あとは日の出を待つだけのことで、時間の流れにゆだねると言う感じです。
マグダラのマリアは、暗闇の中を墓へと急ぎます。「朝早く、まだ暗いうちに」(ヨハネ20章1節)。
そこで、イエス様の復活の悦ばしい知らせを聞くことになります。
主イエスの復活の墓の場面ですと、20章9節に「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」とあります。二人とはマリアと愛弟子のことです。
その後、マリアは、11節以下で主イエスに出会い、20章18節で「わたしは主を見ました」と語ります。マリアにとっての夜明けは、自然に訪れたのではなく、主の憐れみの導きによって信じたと告白した時でした。
私たちは、憐れみの器です。
「神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました」(ローマ9章24節)とあります。私たちは、悲嘆と涙の器ではなく、ただ神の憐れみを受ける器である事の発見、ここに私たちの夜明けがあります。%e3%82%a4%e3%83%81%e3%83%a7%e3%82%a62016

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