聖書 あれこれ(2016.10.23)

御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
ローマ人書8章26節
小説家の安岡章太郎は、68歳で洗礼を受けました。
昔からの友人である遠藤周作の影響によるところが大きいのです。
安岡のエッセイにその辺の事が記されています。
その中で、安岡が遠藤に、洗礼を受ける動機を神父に聞かれたらどう答えてよいか分からず、思い余って遠藤に相談したとあります。
遠藤は、「いまさら何を苦にしてそんなことをいう、受洗動機なんて『空が余りに青いから』とでもいっておけばいいのだ」と言ったのです。
実際そのように神父に言ったかどうかは分かりませんが、言葉に表現できないうめきに近い思いが「空が余りに・・・」の中にあるのでしょう。
その表現できない祈りに近い思いは受け止められる、その信頼が安岡と遠藤、神父の間に確かにあるのです。
「わかりやすい」というタイトルのついたキリスト教関連の本があって、それを見たある人が、「やっぱりわかりにくい」とのニュアンスのことを言っていたが、学んだからといって、信仰が深まるものでもないのでしょう。
要は、動機と志です。
空が青くても、月が青くても、その思いを持つ人のために、とりなしてくださる方をしっかりと見、委ねたらいいのです。img_1693

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