聖書 あれこれ(2016.10.9)

絶えず祈りなさい。       テサロニケの信徒への手紙一 5章17節
キリスト教は、イエス様の教えに基づいています。
教えは、良い知らせ、福音と呼ばれますが、教えですから、理論的になっています。聖書が福音について記していることは、「イエスによって」ということです。
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得て」(ローマ5章1節)いるということです。
聖書からあれこれ「イエスによって」の関連の項目を引き出してくれば、理論としてのキリスト教は理解できるかもしれませんが、キリスト教はそれだけではありません。
理論も大事ですが、実践も大事です。
実践と言っても、隣人への愛とか平和を造り出せとか、善行を積むことを要求しているのではありません。
礼拝にあずかる、聖書を読む、信仰の書を読む、賛美歌を歌う(聞く)ことから始まる実践です。
加えて、祈ること。大事な実践的な行為です。
説教がイエス様から私たちへのメッセージならば、祈りは、人からイエス様への言葉です。
言葉による伝達、人間同志でも言葉による意思疎通がうまくいかずに困ってしまうこともあります。誤解を解くために、何度も説明、弁解を繰り返すことは、誰でも経験のある事です。その点で、言葉は貧しい手段だと思うことがあります。
しかし、イエス様は、この貧しい手段の言葉で祈りなさいと語り、イエス様はそれを聞くと語りました。聞くことにおいて、イエス様は私たちに対し受け身の姿勢、聞く姿勢を取ってくださるということです。
幼い子の発する言葉、よくわからなければどんな姿勢を取りますか。そして、聞いた結果、その願いに対してどんな対応をするでしょう。愛のゆえに、子の願いの達成のために力を尽くすでしょう。
同じように、祈りなさいと勧めるイエス様は、私たちのために、身を小さくして私の貧しい言葉を聞きとり、交わりの関係をもってくださり、私一人のために、受け身の姿勢をとってくださいます。ここに深い喜びが生まれます。
キリスト教、理論と実践、実践と理論。是非とも味わっていただきたいのです。img_3826

広告
カテゴリー: 聖書 あれこれ パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中