聖書 あれこれ(2016.9.18)

死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。
使徒言行録17章32節
十字架と復活。
アテネでパウロが福音を伝えます。討論もします。ある人は「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」(使徒17章18節)と言う者もいたということです。
そして、十字架と復活の話をすると、標記の聖書の箇所のようであったと伝えています。
十字架と復活。この二つの出来事は、二つのことをあらわしています。
十字架は、贖いです。1ペトロ1章18-19節に「知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、19きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」とあります。
イエス様の復活は、私たちに新しい命に生きる道を拓いてくださったということです。
ローマ書6章4節に「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」。
私たちが受ける洗礼は、イエス・キリストと共に死ぬことをあらわしています。イエス様と共に死に、そしてイエス様が復活されたように、私たちも終わりの時に、復活する、そのことをイエス様の復活はあらわしているのです。
コロサイ書1章18節にイエス様は「死者の中から最初に生まれた方です」とあります。
私たちは、その次、それが十字架と復活、そして洗礼を通して私たちに約束されています。私たちは、何を信じているのか、それはここに示された約束を信じているのです。img_3740

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