聖書 あれこれ(2016.8.21)

何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
コヘレトの言葉3章1節
あるときは船より高き卯浪かな   鈴木真砂女
卯浪(うなみ)は夏の季語で、波立つ白さを卯の花(ウヅキ)に例えたところから生まれた言葉のようです。
時は、一瞬か永遠か。
真砂女の句でいいますと、波は頂にあったり底にあったり、その波は人に例えられるのでしょうか。
あるいは、人を乗せた船を翻弄するかのようでしょうか。
あるいはまた、教会は様々な波の高さに驚き、慌て、悲しみ、怒りに満ちるかのようでしょうか。
そのあたりは解釈の面白みでしょう。
コヘレトの言葉の「時」は、完成の時に向かって、確かなリズムを刻んで行く音が聞こえてくるような、そういう時です。
人によって長く感じたり短く感じたりはするかもしれませんが、しかし決して、時の流れからある人を排除するような、そういう進み方はしない時です。
天の下の出来事は、主なる神の支配下にあるということです。
ときに、ある出来事に翻弄され、頂を経験したり、飲み込まれそうになったとしてもです。
必ずや、全てを見通せる場所に立って、「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」と言うことが出来るでしょう。
パウロは「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(2コリント4章8-9節)と語りました。
それが私たちの今を生きる信仰です。IMG_3393

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