聖書 あれこれ(2016.7.17)

口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。
ローマ書10章9節
信仰は、言い表すことが大事です。標記の聖書も勧めています。
聖書の中には、幾つも信仰の表明があります。
ヨハネ福音書9章38節に「彼が、『主よ、信じます』と言って、ひざまずくと、・・・」とあります。
本文の中では、前後を読みますと信じることの内容が分かりますが、では私たちが信仰の告白として「主よ、信じます」だけでいいかと言うと、どうでしょう。
本人は、言い表しているのですが、でも相手にはどういうことを信じているのか、内容が伝わりませんと分からないかもしれません。しかし、内容がはっきりしますと、ああそうかとなりますし、感動が伝わりますし、証しにもなります。
信仰の表明は、人々に宣べ伝えることでもあるのです。
何を信じているか、伝えることが大事です。
この場合の「主」とは何。「信じます」のもう少し具体的な中身は何、と言うことになります。
そこで「使徒信条」が、共通の信じていることの中身として用いられるようになりました。
これですと「主」とは何かがわかります。
「信じます」の中身がよくわかるのではないかと思います。
主は、「天地の造り主、全能の父である神」のことです。「イエス・キリスト」のことです。
「信じます」の中身は、過去、現在、未来にかかわることですが、2000年前のイエス・キリストの誕生、十字架、復活によって、私たちの罪が赦され、永遠の命が与えられていることがその中身となります。
救いは食べ物を味わうことに似ているかもしれません。どんなに説明されても、食べてみなければ本当の味を味わうことは出来ません。
信じる、味わう、それによって、救われていることの充実感を得られるのです。
使徒信条、あるいは、幾つかの信条をぜひ味わってみてください。それぞれに味わいの深いものですし、口で公に言い表したくなると思います。EF24F087-8F34-4B16-8334-A922C5518D9B

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