聖書 あれこれ(2016.4.24)

ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。     創世記46章4節
ヨセフの父ヤコブは、「寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた」(創世記49章33節)のです。
37章から始まるヨセフ物語は、ヨセフの波乱万丈の半生ということですが、父ヤコブにとっても辛いことでした。
しかし、再会し、ヨセフがヤコブの傍らにいる、何とも嬉しいことですし、主の言葉として標記の言葉が語られているのですが、それも大きな慰めでした。
ヤコブがみたもの、それはヨセフ本人。そして、46章では「一家を上げて旅立った」とあるので、飢えに苦しむ一族が、飢えから解放されることを見たのです。そして、神の約束としては、「わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す」(4節)と言う約束を聞いたのです。
これらを見た、聞いた、そして死に際してそこにヨセフがいる、最高の形と言うことでしょう。
「終の桜」と言う言葉があるようです。
桜好きな方で、各地の桜を求めて愛でる人の中には、最後の桜を瞼に焼き付けておこうという思いになるのだそうです。どんな桜になるのでしょうか。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ書8章28節)。
「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです」(ヘブライ11章3節)。
神の知恵としての知識と、私のいる世界全体が神の愛と慈しみ中にあること、それらを信仰を通してみることができます。
それも、私たちの「終い」の遥か前から見ることができます。イエス様を見ることがすべてをみることとなるのです。
「教会はキリストの体」(エフェソ1章23節)であるからこそ、教会で、礼拝で、私たちは大いなる安らぎと慰めをキリスト・イエスから受けているのです。IMG_1267

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