聖書 あれこれ(2016.4.10)

わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。           マタイ11章29節
人工知能。
研究は盛んなようですが、先頃伝えられたニュースによると、学習型人工知能の一つは、19歳の少女として登場し、同世代の若者との会話を通して、思考、世界観を学んでいくようにプログラミングされていて、結果、一台(あるいは一人というべきか)は、民族差別的な発言をするようになり、もう一人は、神になりたいという野心を持つようになったという。開発担当者が、保護者の役割を果たすとして、人と同じように、二人は強制的にチャット禁止を言い渡されたらしい。
開発担当者は慌てた。慌てた原因は、開発者の中の理性であり、良心の声ということ。開発担当者を保護者として考えるなら、彼らの中に深く刻み込まれた良心が、NOと言ったことになる。良心の声に慌てたのだ。
開発担当者は、人工知能の開発において野心をもって望んだが、その前に、自身の中にある良心を教えるべきだったが、これがなかなか難しいようだ。
人は人を愛し、人からも愛されたいと願う。だから、他者を傷つけるかもしれないと考えたら、自己を抑制し、互いの関係を保とうと努力する。そこで良心も育っていく。
だから、どこで、どういう関係で、学ぶか。それは殊の外大事なことなのだ。野心のみがうごめいている場所では、人が育つ場所ではないということだろう。
人は、空気、栄養があれば、生きていけるが、無条件に愛される、この愛がなければ人は死んでしまう。
「野心は失敗の元」(ギル・グリッソム)なのだ。
イエス様は学ぶ場所として、二つの場所を提供している。一つは、標記の聖書の箇所、もう一つはマタイ24章32節にある。
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる」。
いちじくの木の前、こちらはちょっと難しいかもしれない。IMG_1149

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