聖書 あれこれ(2016.3.20)

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。
詩121編1-2節
山々。どんな山でしょう。エルサレムの神殿を彼方に望む山でしょうか。
それとも、遥か彼方の向こうにある、越えていくべき山々でしょうか。
実物はみたことがないし、写真集を思い浮かべてもつまらなそうだし。
イメージを浮かべるのは難しいのです。
レビ記11章に食べてよいもの、いけないもののリストがあります。
いけないものとして、例えば、鷲みみずく、小みみずく、虎ふずく、ふくろう、魚みみずく、このはずく・・・。全然イメージが浮かんできません。
フクロウ図鑑を見ましょうか。それともフクロウcaféにでも行きましょうか。
久里浜教会が山の頂にあればいいけど、標高2.5mの平地だし。
でもここは、平地の教会でもいいことにしよう。
ここから私たちは福音を聴き続けてきたのです。イメージはここにしよう。
今、受難節。灰の水曜日からイースターまでの期間。この期間に、主の御受難を覚えて断食、禁欲をする方もいるようです。
イエス様が共にいて下さることを身近に感じる一つの方法なのでしょう。
主は、天地を造り、私たちを造り、そして、救い主を遣わしてくださいました。
その方が私の横にいて、肩を抱きながら、だからこそ顔を上げることが出来ると思います。
私たちは、この場所で、この場所から。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28章20節)。IMG_0803 (2)

広告
カテゴリー: 聖書 あれこれ パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中