聖書 あれこれ(2016.2.21)

わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
2コリント4章18節
ブラックホール。
宇宙にあって、大きな質量を持ち、強い重力のため、ロケットは勿論、星も光も脱出できない“穴”のことです。
全く知られていませんでしたが、科学の発達とともに、見えない存在として知られるようになり、最近はなんとか間接的に見える存在として実証する研究が進められています。
ブラックホールは、蟻にとっては、蟻地獄みたいなものでしょう。何でものみ込んでしまうのは困りものですが、どのようなものでも受け入れる存在が、私の道の先にあることを語ったのはパウロでした。
パウロは「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(ローマ7章24節)と語りました。
パウロは元迫害者でありました。そのことを思い出す度にいたたまれない思いになったことでしょう。実際、迫害のために暴力も辞さない覚悟をもって望んでいたのですから。
しかし、このパウロの思いは、すべての人の思いであり問でもあります。「死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」。
この切なる問を受け止め、私たちに示されている答えは一つです。
「キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマ書3章24節)。私たちは、大きな測ることのできない神の恵みの中に生きることとなる、イエス様の贖いによって。それが私たちの今とこれからを支えます。IMG_0422

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