聖書 あれこれ

「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。  ローマ書13章9節
隣人を愛せよ。
人類最古の殺人は、二つある。一つは、スペインで発掘された43万年前の頭蓋骨に凶器で殴られた痕跡があるというのだ。もう一つは、聖書にある兄が弟を殺したという記述だ。創世記4章にある。
これが一つのことであるというと、ニュースとしては興味深いが、一致することはないだろう。
創世記の殺人の動機についての詳細はないが、祝福を受けられなかったカインが弟を妬んだ故の犯行と推測することができる。
もう少し、弟アベルが祝福を受けられない兄の気持ちを察していれば、殺人を回避できたかもと思うのは、創世記32-33章を読むと殊更にそう思う。
祝福を奪ったヤコブは、兄エサウに対して、たくさんの贈り物を贈り、ご主人様と呼びかけ、「兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます」とまで語っている。祝福を受けられなかった兄の心情を察しているのであろうか。
ヤコブとエサウは和解する。もし、ヤコブがエサウを従者の如くに扱っていたらどうなっていただろうか。
創世記48章、ヤコブは、ヨセフの子二人を自分の子とする。一人だけにしておけばややこしくならないのだが、二人を自分の子とする。そして祝福するのだが、右手を弟の頭に載せ、左手を兄の頭に載せて祝福する。ヨセフは父の右手が兄の頭に置きやすいように近寄らせるが、父は手を交差して置いたのだ。
祝福は一つだ。そこから起こることに殺人もあれば和解もある。聖書は事件を語るだけでなく、問いかけをしているのだ。
私たちはカインにもヤコブにもエサウの立場に立つこともある。その時々に、どう振る舞っているのだろう。
イエス様は「隣人を自分のように愛しなさい」と語る。神の祝福を受けた者の如くに愛せよと語るのだ。
「愛は、すべてを完成させるきずな」(コロサイ書3章14節)とある。
私たちは、主の愛を受けている。それはきずなだ。それをどう用いるのか、そのことを思いめぐらしつつ歩みたい。IMG_0098

広告
カテゴリー: 聖書 あれこれ パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中