聖書 あれこれ

ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。
この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。                2コリント4章7節
ある人は、この箇所の土の器を素焼きの壊れやすい器、と表現しました。また、縄文式土器のような素朴なものだという表現した方もおります。
どちらもあまり高価な器ではないのです。しかし、この器の中に神の宝が納められているのだというのです。

縄文土器は、縄文時代の土器です。これまで、美術工芸品としての評価はあまり高くないと評価されていました。しかし、ある時、誰かが、縄文土器の美の再発見ということで評価が一変しました。そうなると、今までは歴史的な価値はありましたが、美的な価値はなかったものが、一夜にして「素晴らしい」という評価に変わります。面白いものです。
土の器の価値、はじめから神様はご存知でした。
価値あるものは、価値ある器に盛られるべきなのです。
当たり前のことを当たり前に行う。
私たちは「土の器」。その器にふさわしい宝を納めていることを覚えましょう。
土の器の製造者は神様なのですから。IMG_6598

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