聖書 あれこれ

このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。フィリピ2章9節
「このため」。
フィリピ書2章は、イエス様が、「僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(7節)、「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(8節)とあって、イエス様が私のところまで下ってきたことが記されています。
来たらまた戻ります。
来て、何を、どんな振る舞いをしたのでしょう。
私たちは、身なりや姿でその人を知ることが多いのです。
制服を着ていれば、警察官、消防の人と言う具合に。キャビンアテンダントの服であれば、優しい人なのではないかと思ってしまう・・・思い込みでしょうか。
しかし、すべての人がそういう制服を着ているわけではありません。そうなるとどうなるのでしょうか。
そうなると、今度は振る舞い、所作でしょうか。
イエス様が十字架の上で息を引き取られた時、ローマの百人隊長がこの光景を見て、「本当に、この人は神の子だった」(マルコ15章39節)と語りました。
この時のイエス様の格好は、神の子のようではなく、みすぼらしく血を流し汚れていたのでした。でも、この隊長は、イエス様を見て、イエス様が私たちのところまで来てくださった事、そして私たちに代わってすべての罪を引き受けて下さったこと、私たちのところで贖いを成し遂げてくださった事を知ったのでした。
イエス様は神の国へ。神の国は、ゴールです。スタートからゴールへ。道が出来ました。そこを私たちは行きます。ゴールを与えてくれた、迎えられる場所、目指すべき所を与えてくださったのです。そこへ向かう私たちを応援もしてくださいます。
このことによって、私たちもキリストによって、高くあげられ、イエス様の兄弟として、友としての名を私たちに与えてくださったのでした。IMG_5674

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