聖書 あれこれ

彼には名をサウルという息子があった。美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった。
サムエル記上9章2節
初代王サウルは、背が高く美しかった。性格においても。
そのサウルが、次第に心穏やかな状態ではいられなくなっていきます。
心を慰めるには、琴の音がいいということで、ダビデがそばへと仕えます。王もダビデが気に入ったのです。
ダビデは、しかし、琴を奏でる人だけではありませんでした。優秀な兵士としての働きがあります。人気もうなぎ上りです。それ故に、サウルは嫉妬し殺そうとます。
しかし、忠告を受けて思い直し、誓います。
「わたしは二度と危害を加えようとはしない。わたしは愚かであった。大きな過ちを犯した」(サムエル記上26章21節)。
しかし、サウルはその誓いを守ることが出来ずに、殺そうとします。そして疑心暗鬼に震え、やがて激しい戦闘の中、剣の上に倒れ伏して命を落とします。
サウル王の心の変化は、現代の私たちも通じるところがあります。感受性豊かであれば傷つきやすいのです。
何故聖書は、サウル王の心の変化を描くのでしょう。悲劇的な結末を描くのでしょう。次の王ダビデを際立たせるためでしょうか。
サムエル記上9章から31章まで、サウルの生涯が描かれています。
サウルの生涯に託して、語りたいことがあるのではないでしょうか。孤独であったサウルに寄り添う者は誰であるかを聖書は指し示しているように思えます。虫2015a

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