聖書 あれこれ

このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。                         使徒言行録11章26節
アンティオキア。聖書の巻末の地図、パウロの伝道旅行の出発点となる教会。異邦人伝道の拠点となる教会がある都市。
ここで、「弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」のです。呼ばれたとあるので、弟子たちの生活振りを見てのことでしょう。
変わった人たちの集まりから始まって、褒めることよりは、見下ろした感じの言い方でしょうか。しかし、それを、弟子たちは自分たちの呼び名として受け取ったのでした。
旗印。
意味は、 戦場で目印となる文字やしるし。転じて、掲げる主義や主張の目標となることでしょうか。
キリスト者の旗印は。礼拝者の姿、十字架の装飾品・・・あとは。
明治のキリスト者は、倫理的に厳格さを守ることを主張しました。聖書では、命じられても禁じられてもいないことについて、倫理的な行動基準として掲げたのです。禁酒禁煙もそれらに当てはまるでしょう。
聖書に過度な禁酒を掲げる聖書箇所はありません。深酒の末の失敗談があるだけです。「ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた」(創世記9章21節)。
とはいえ、それぞれのキリスト者に、信仰的なことから「これはしない」と心に秘めている方は多いのです。良心的○○拒否者ということです。
旗印は、戦場などで掲げる目印ということですから、掲げる時は、戦時と言うことでしょう。
掲げる時とはどういう時でしょう。常時掲げていると、疲れるかもしれません。また、時を逸しても困るのです。立つときはいつでしょう。倒される不安もあります。
「今でしょう」ははやり言葉ですが、未来を捉えることは殊の外難しいことです。
「倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ」(コヘレト4章10節)とありますが、「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」(ヨハネ福音書15章15節)との安心が、その時私を捉えることでしょう。
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