聖書 あれこれ

互いに別れの挨拶を交わし、わたしたちは船に乗り込み、彼らは自分の家に戻って行った。                        使徒言行録21章6節
別れの挨拶。
具体的になんて言ったのでしょう。
別れの言葉。何を言ったのでしょうか。
さようなら。あるいは、さらば・・・。
日本語で言ったのではもちろんありません。どういう気持ちでしょうか。
グッバイは、「神があなたとともにあらんことを」の略だそうですから、こういう感じであったのでしょうか。
「再見」は、再び会いましょうですが、これでもいいですね。平安があるように、これもまた相応しい。
別れた後の歩みについて言及する、それが世界の別れの言葉のようです。
では「さようなら」はどうでしょう。
さようなら。そこにどういう気持ちがこもっているのでしょうか。
「さようなら」の言葉は、接続の「さらば」から派生したのだそうです。
では、私たちは、何と接続する思いで「さようなら」と言ったり、受けたりしているのでしょうか。
再見、平安、神の祝福。
使徒言行録21章27節以下でパウロは逮捕されます。この場面、集まった人たちは、パウロにエルサレムへ行って欲しくなかったのです。引き留めています。
しかし、パウロは「主イエスのためならば」(13節)と言い、決意をもって別れてエルサレムへと向かったのでした。地上で再見はないかもしれない・・・共通の認識であったでしょう。
それでも、しっかりとした繋がり、祝福のつながりは別れを言う方にも受け止める方にもあるという確信は揺るぎません。
この身に何が起ころうとも、大丈夫だという確信。それが別れの場面を支配します。
この支配は、神の祝福の中にあるのです。だからこそ、私たちは別れを体験することができるのです。
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