聖書 あれこれ

昔の方がよかったのはなぜだろうかと言うな。それは賢い問いではない。
コヘレト7章10節
エジプト脱出後困難に直面します。すると、民は「あなたは我々を乳と蜜の流れる土地から導き上って、この荒れ野で死なせるだけでは不足なのか。我々の上に君臨したいのか」(民数記16章13節)とつぶやきます。
エジプトが乳と蜜の流れる土地???
奴隷として苦しみの叫び声をあげていたのは誰、思わずそう言いたいところです。
賢者にならなければなりません。
人は愚痴るもの、弱さを持つ者、罪人です。
標記の言葉は、戒める言葉でもありますが、そうならないように気をつけなさいと言うことだけでなく、そういうものなのだと言う冷静な観察、知恵なのです。
罪人であるという指摘は、否定的に考えるだけでなく、知恵として受け止めることも大事なことではないでしょうか。
1コリント6章15節に「あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか」とあります。
イエス・キリストとの一体性。
愚痴ることを知恵として受け止めるには、自分が常に一人ではなく、罪を指摘し、救い出してくださるキリストとの一体性を覚えることが大事です。私たちの罪を指摘するお方は、私たちを救うお方でもあるのです。
DSC_1947 (2)キイロトラカミキリ・・・阪神ファンではない。

 

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