聖書 あれこれ

だから、わたしたちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。               ヘブライ2章1節
馬の耳に念仏、聞き逃すことの多い最近ですが、今、固執すべきは聞いたことについてです。
何を聞いたのでしょうか。誰から聞いたのでしょうか。
イエス様から発せられた「福音」、よい知らせです。
聞いた人だけが得をするものでしょうか。
聞いた人だけですと、聞き逃した人は損することとなります。
福音は、恵み、救いを目的とした恩恵であり、イエス様の愛する者、愛される者へ
と語られたものです。
パウロは、迫害者でありましたから、誰もが考えることですが、神の愛を受けるに相応しい者とは考えられませんでした。
しかし、神の選び方は違いました。神は、迫害するパウロを愛されたのでした。
福音が語られる、届けられる、その者はパウロと同じく、神に愛される者です。私たちは土の器にすぎませんが、神様はその器をこよなく愛するのです。
私たちは、パウロ程の悪を行ったことがないはずです。ならば、私たちも恵みの中に、選びの中にいることを忘れてはなりません。
私たちが注意を払うべきは、語られているという事実です。愛されているという事実です。
「主が最初に語られ」(2章3節)、次に「それを聞いた人々」(同)、弟子たちでしょう、命を懸けて私たちに届いた福音です。
この福音に私たちは注意を払うのです。ここに救いがあると固執するのです。イエス様に固く結びつくことによって、平安を得るのです。
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