聖書 あれこれ

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
ヨハネ福音書15章5節
葡萄食ふ一語一語の如くにて(中村草田男)。
葡萄・葡萄酒は、聖書によく登場します。キリスト教のシンボルにも使われていて、装飾などにもよくみられます。
実がなる木は、多くありますが、酒となる実は葡萄が代表なのでしょう。イエス様は、最後の晩餐では、葡萄酒の杯をさして「多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マタイ26章28節)と語りました。
葡萄の木は、幹が小さい割には、多くの実をつけます。西洋では、日本の葡萄棚のように、天に広がる形に作らないようですが、日差しを遮るように広がる葡萄棚は壮観です。いっぱいに枝を張った、そこに実がなるのです。
一房一房、袋がかけられ、日本の葡萄は大事に育てられます。
大事に育てられ、粒の大きな、比較的高価な葡萄は、丁寧に食されます。
日本基督教団信仰告白の冒頭は、「旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証しし、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり」とあります。
聖書の一語一語は、私たちの教会の拠るべきもの、私たち一人一人の命の糧となるものです。
聖書食ふ一粒一粒の如くにて。IMG_3778 (2)

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