聖書 あれこれ

女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」  ヨハネ8章11節
イエス様の前に、罪ある女性が連れてこられました。5節に「現場で」とあるので、現行犯であるのでしょう。
緊迫した場面です。律法に従えば、石打の刑になるというものです。申命記22章22節、レビ記20章10節によれば、男女ともにということですが、ここでは何故か女性だけが対象となっています。男は逃げたのでしょうか?
どう考えるかと問われて、イエス様は答えられます。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と語ります。
すると、年長者から順に立ち去っていき、誰もいなくなりました。
そこで、最後にイエス様がこの女性に向かって、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と語られたとのことです。
なぜ、処罰しようという人は立ち去ったのでしょう。
自分も罪人、人を裁く資格などないと思ったのでしょうか。
これは大勢の人の前のことであったかもしれません。
そうしますと、立ち去っていく人にとっては、恥ずかしいことでもあります。
結果的に自分は罪人であることを言い表したからです。
罪を告白するより、それを隠して石を投げることの方がいいと思っても不思議ではないのです。
イエス様の憐みのまなざしは、この罪ある女性にも、本来いなければならない男にも、去って行った人にも、等しく注がれています。
「わたしもあなたを罪に定めない」。
当時の社会は、今の視点から考えると、私生活が監視されていたのでしょう。罪を犯したら、心を寄せるところ、身を寄せるところがなかったのかもしれません。
2000年たった今、様々な進化を得ていますが、私たちの社会は、社会の中に、弱い人や罪を犯してしまった人を支え再出発を願う場所を持っているのでしょうか。
イエス様は人々を単に去らせたのではないのです。私のところこそ、あなたがたが心を寄せ、身を置くところだと語り掛けたのです。
教会は、詩23編が語るところの「憩いの水のほとり」であり「魂を生き返らせてくださる」ところなのです。IMG_3023 (2)

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