聖書 あれこれ

そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった。」            マルコ福音書11章17節
神殿の境内で、あまりにも賑やかで、それは信仰者の集まりの賑やかさではなく、退廃を感じてのことでしょう。それでイエス様は「強盗の巣に・・・」と語ったのです。
神殿に皆が拠り所としているのだけれども、ユダヤの指導者たちが、私物化し人々から搾取をしているのを鋭く指摘したのでした。
いつの時代も、「あれは違う、本来の姿ではない」という声が上がります。
普通の人は、富を働いて集めます。そして、必要に応じて、拠出します。
強盗は、尋常でない手段で富を集め、そして決して誰かの助けのために拠出することもありません。だから、強盗なのです。そして、強盗は、その痛いところを突かれると、頭に血が上り、手が付けられなくなります。
強盗も、人のことですが、本来の人の姿ではありません。強盗は仮の姿です。
「わたしの家は、すべての国の人の、祈りの家」とあります。
祈りは忘れてはならないのです。
人は、忘れることがありますが、幸いなことに、思い出すこともできます。
「わたしたちは尊くすばらしい約束を与えられています。それは、あなたがたがこれらによって、情欲に染まったこの世の退廃を免れ、神の本性にあずからせていただくようになるため」(2ペトロ1章4節)の約束です。
これは、イエス様の救いの約束、完成の約束のことです。
そして、この約束には、「イエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです」(ローマ10章9節)とのイエス様の約束の確かな保証がつけられています。IMG_3128 (2)

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