聖書 あれこれ

イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」    マルコ8章27-28節。
人々は、イエス様のことを「預言者の一人」と呼ぶ人もいました。
預言者。
旧約聖書に登場するエレミヤも預言者の一人でした。厳しい預言をしました。それで捕えられ命の危機に陥ることもありました。
要するに人々はエレミヤの預言を聞きたくないのです。聞いてくれませんと、「預言者の一人」にもなれません。私たちは「預言を聞く人」ですが、時に恣意的に良いことだけ聞く人になってしまいます。イエス様は、預言者でしょうか。そうだとすると、しっかりと神の言葉が届くでしょうか。
「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」(ヨハネ10章14節)とあります。
羊は強くはないのです。弱いものとされ、古代から飼育されてきました。羊飼いが世話をします。ダビデ王も若いころには羊飼いをしておりました。その時身に着けた業で、ゴリアトを倒したのです。サムエル記上17章。命を捨てる覚悟で羊の世話をするのです。それが羊飼いです。
イエス様は私たちの預言者にはなりません。羊飼いとなるのです。
イエス様は私たちの羊飼いとなります。これからは、羊と羊飼いの関係となります。
迷える子羊、1匹を必死になって探す羊飼い。
羊飼いと羊の話を聖書で探し当てて読んでみたらどうでしょう。
羊飼いがイエス様でよかった、きっとそう思うことでしょう。IMG_3050

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