聖書あれこれ

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。      ヨハネ福音書3章16節
鶏と卵、どちらが先でしょうか。「どちらが先か」の問題はアチコチにあります。向こうから人が来る、このままではぶつかる…どちらが先に避けるのか。
神の愛か、人の愛か。人が先に愛したので愛するのか…。
イエス様は、私たちに語っているのは、「世を愛された」ということです。
愛するというのは、相手の価値を認めている、称賛するという意味でしょう。
イエス様が愛するのは、「世」の中で、いろんなものと絆を結んでいる「あなた」のことです。
私たちは、この世の中で、神の愛と結ばれていますが、その一方、罪とも結んでいます。まとわりつき、からみつき、邪魔をする物です。時には、身動きができないほど…。
人は、「死の綱がわたしにからみつき、陰府の脅威にさらされ、苦しみと嘆きを前にして」(詩116編3節)いるのです。
その私たちを主なる神は、「一人も滅びない」ために、「独り子をお与えになった」のです。
イエス様が語るのは、新しい結びつき、絆です。
この世の罪から離れましょう。絡みつく罪からです。
罪から離れ、伸ばされているイエス様の手をつかむ、イエス様の手に命があるのです。
一人も滅びない、これがイエス様の願いです。それが私たちを引き寄せます。IMG_2727 (2)

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