聖書 あれこれ

それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこういって、眠りについた。       使徒7章60節
ステファノ、最初の殉教者。
使徒言行録によると、この時期の信者の生活は「必要に応じて、皆がそれを分け合った」(使徒2章45節)時代ですが、残念なことに、6章1節以下を見ますと、日々の分配のことで、苦情が噴出、そこでステファノら7人が選ばれ、その対応に専念することとなったようです。
あの人のパンの方が大きい…と言うことよりは高尚な苦情処理でしょう。6章1節に「ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た」とあるので、同じユダヤ人であっても、言葉(文化、育ち)が違うと、あれこれ大変だったのでしょう。7人は、「日々の分配のこと」に対応するということですから、毎日苦情処理に追われたのでしょうか。
彼ら7人の仕事はそればかりでなく、6章8節以下には、しっかりと伝道の業にも参与しています。ステファノは、その中で、神を冒涜する言葉を発したとの冤罪で逮捕され、とうとう石を投げられ、殺されてしまいます。最後の言葉が、標記の言葉として、聖書に記されています。
最後。聖書には、様々な最後についての言及があります。イエス様の最後、この世の終わり、最後の審判…など。
ステファノは、「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人」(6章3節)、「恵みと力に満ち」(6章8節)た人でした。
評判が良い、力がある、それはちょっと太刀打ちのできないことですが、恵みと“霊”については、ステファノ自身のものでなく、天からのものであるので、私たちとそれほど変わるものではありません。
そのステファノが、最後の時、赦しの思いに包まれています。それは、彼の評判とかの、彼の資質と結びつくのではなく、恵みと霊によることは明らかです。
最後の時に、自分が赦された者であることを知る、だから、赦す者として振る舞うことができる、それは私たちに与えられた格別の瞬間ではないでしょうか。不安ではなく平安が支配する、それが私たちの最後の時に、“霊”と恵みのなせることです。

IMG_1471 (3)ミカドトックリバチ・・・学名にもミカドとあるので、??? 19世紀末の日本ブームと関係あるかも。オペラ「ミカド」やら、ミカドイエローとか。調べると面白いかも。

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