聖書あれこれ

はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。
マタイ福音書26章13節
「この人のしたこと」とは何か、7節にあります。「一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた」ことです。
イエス様の弟子たちは、無駄遣いと非難します。ヨハネ福音書では、300デナリオンの価値とあります。1デナリオン=1日分の賃金です。
その批判に対して、イエス様は、葬る準備をしてくれた、良いことをしてくれた、と評価するのです。そして、「この人のしたことも」記念として語り継がれていくと語るのです。最大の評価です。
この人がどういう思いで高価な香油を注ぎかけたのかは分かりません。ただ、イエス様は、葬る準備をしてくれたと、認めているのです。
何かをしようとするとき、躊躇することがあります。どういう評価を得るのか分からないからです。小さな親切、大きなお世話になってしまうのではと考えるのです。 だから、小さくなることがあります。まして、周りから批判されたら、消えたくなります。
でも、大事なのは気持ちです。気持ちはイエス様の方に向いている、それが大事なのです。そうであれば、イエス様が、新たな価値を見出してくださる、そのようにこの箇所を読むことが出来るのです。
イエス様は、「この福音が宣べ伝えられる所・・・」と語ります。間違いなく教会です。
教会はどういうところか、そう問われる時、この聖書の箇所を味わいながら、教会は小さな一人の気持ちを大事に受け止め、憶え、記念するところだ、その思いを受け継いで行きたいと思います。IMG_0843

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