聖書 あれこれ

あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。
ヨハネ福音書16章30節
弟子たちの告白、「今、分かりました」、そして「信じます」と続きます。
分かるというのは、よいことです。
この場合、弟子たちは何が分かったかというと、自分たちが無力であり、助けが必要であることが分かったのです。
弟子たちは、しかし、依然として無力であり、この先も無力です。
弟子たちの無力は、しかし、彼らの誇りとなりました。
「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(2コリント12章9節)。
「弱いときにこそ強い」(2コリント12章10節)とはどういうことでしょうか。
パウロの言葉は、経験の故の言葉です。
パウロの経験とは、この場合、各地への伝道でありました。反対の勢力の力の前に、机上の計算では、到底勝てない程の力の差です。しかし、各地に教会が立ち、信徒が増えていくのです。パウロの経験は、神の力に預かったことによるものでした。
私たちは、日々の歩みを経て、ここにいます。双六で言えば、上り目前です。
「陰府の力もこれに対抗できない」(マタイ16章18節)、私に対抗する力があったのではないのです。「わたしたちもキリストに結ばれた者として弱い者ですが、しかし、あなたがたに対しては、神の力によってキリストと共に生きています」(2コリント13章4節)。「神の力」、これこそが私を内から強くする、私の誇りです。蓮2014

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