聖書 あれこれ

わたしは異邦人のための使徒であるので、自分の務めを光栄に思います。
ローマ書11章13節
パウロは、異邦人の使徒となりました。
旧約聖書に登場するヨナは、異邦人に悔い改めを迫る預言者でした。ニネベの町へ行くように指示されますが、拒否して逃げますが観念してその務めを果たします。
使徒、預言者、呼び方も違い、その職務も違うのでしょうが、異邦人を大事に思う記述は聖書の中に多く登場します。
寄留者(旅人)をもてなすこと、それは「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった」(申命記10章19節)からでした。
パウロは、当初、同胞への伝道を志していましたが、使徒言行録16章によると、宣教旅行の中、啓示を受け、異邦人伝道へと向かったのでした。
使徒としての働きとその困難さの様子は、自身が回顧した2コリント11章16節以下に詳しく述べられています。
鞭打、難船、海上漂流、盗賊、同胞から異邦人からの難・・・。
異邦人伝道を担うとしても、異邦人からの難はあるのです。
民族、宗教、様々な違いはあります。違いの中に留まるのではなく、越えていくことの中に私たちは尊い愛の業を見ることができます。
江戸から明治へ、多くの宣教師が生まれ故郷を離れ、日本に来、或る者はこの地で生涯を終えたのでありました。フェリス女学院の校長であったカイパー女史は、関東大震災の際に、校舎が倒壊しその中に取り残されたのでした。火が迫りますが、助け出すことができません。外国人墓地の墓碑にはマタイ6章10節の言葉が刻まれています。51歳でした。
世界は、違いを超え、一つになろうとする、その努力は今日に至るまで、多くの献身的な人々によってなされているのです。私たちも、その中へと招かれ召されているのです。「御心がおこなわれますように」、それが私たちの祈りです。CSC_0283

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