聖書 あれこれ

もしあなたが、もともと野生であるオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、栽培されているオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、元からこのオリーブの木に付いていた枝は、どれほどたやすく元の木に接ぎ木されることでしょう。
ローマ書11章24節
教会の玄関の前にある、オリーブではない、ゴールドクレスト(多分)。2㍍を超える木に成長しましたが、2月8日の雪の重みで中ほどで折れてしまいました。
さて、聖書に接ぎ木に関するたとえがあり、それによれば、私たちはキリストに接ぎ木されているということです。
聖書にあるのですから、接ぎ木は昔から行われ、果実の改良などに用いられたのでしょう。それが例えとして用いられています。
私たちは、キリストという台木の上に接ぎ木された穂木です。
植物は、成長するのに時間のかかるものですが、接ぎ木によって短縮されるということです。
私たちで言えば、本来、神の国に根を張ることのできない身ですが、イエス様と言う台木に接ぎ木されることによって、結ばれることによって、あり得ないことが実現したのです。
あり得ないことは奇跡です。奇跡は稀にしか起きないと考えます。しかし、この接ぎ木は、頻繁に起こるので、稀なこと、奇跡ではありません。
接ぎ木は、恵みとして起こるのです。
私たちは野生の木にすぎませんが、私たちを選び、憐れみ、恵みとして選んでくださったのです。

 

 

切株2014

広告
カテゴリー: 聖書 あれこれ パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中