聖書 あれこれ

だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。        ヘブライ4章16節
恵みの座。
どこでしょう。
子どもの頃、何かあると、「そこに座りなさい」と言われた方、多いのではないかと思います。
どこであったでしょう。どこであっても、何か決定が下される、「裁きの座」(大袈裟な)であったことでしょう。
隣の頁の「使徒信条」に、イエス様は「神の右に座しておられます」とあります。
ということですから、恵みの座というのは、その右、あるいは前、それ以外はないでしょう。
そこは、裁きの座ではありません。
ローマ書8章34節に「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです」とあります。
恵みの座は、とりなしの場所、「時宜にかなった助けをいただく」場所のことです。
「大胆に」近づくとあります。
子どもから大人へ。大胆に近づく場所が少なくなるものです。故郷の懐かしい場所でさえ、恐る恐ると言うこともあるのです。
ここは、誰もが大胆に近づくことのできる場所です。
「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」(エフェソ1章23節)です。
教会は、キリストの「神の右に座しておられます」の右の恵みに満ちた場所です。ここへなら大胆に近づくことができ、ここで助けを受け、ここで憩うことができるのです。

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