聖書 あれこれ

このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。 使徒言行録11章26節
キリスト者の特徴。
何を見てそう呼ぶようになったのでしょう。
初代教会、マタイ28章19節に「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」とあるので、洗礼と、最後の晩餐のときにイエス様が「それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』」(ルカ22章19節)と聖餐を行なっていたのでした。
この行為と人々の喜びに満ちた表情、その表情は罪の赦されたことからくる穏やかな表情でした。
教会は、洗礼と聖餐、そして義の実を結んでいく希望に満ちていたのでした。
今日の教会に集う方の表情はどうでしょう。
まさか、苦渋に歪んでいるということはないでしょう。
人はイエス様に招かれ、洗礼を受け、聖餐にあずかり、希望に満ちて生きる、イエス様と共に生きるのです。
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハネ14章6節)と言われたイエス様と共にいくのです。
だからこそ、前を見つめて行くことができるのです。
2013路地

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