聖書 あれこれ

パウロがわたしたちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、「主の御心が行われますように」と言って、口をつぐんだ。     使徒言行録21章14節
第3回の宣教旅行、最後は海路でテイルスにつきます。この後、エルサレムに向かうのですが、エルサレムに行くことは死の危険がパウロに及ぶことが考えられ、皆が留まるようにとしきりに進めるのです。
しかし、パウロは13節で「そのとき、パウロは答えた。『泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです』」と語り、標記の14節へと続くのです。
結果、27節以下で逮捕、暗殺の危機を経てローマへと護送されることとなります。
パウロの仲間にすれば、留まってほしかったのでしょう。しかし、パウロにはなおエルサレムで果たすべき使命があるのです。涙ながらの意見の対立、パウロのことを思っての対立があります。
迷うこと、対立、相違、すべては「先のこと」に関してのことです。
迷うこと、堂々巡りに終わりません。
対立、線路のように平行線でどこまでもということはありません。
相違、しかし、類似点を見いだすことでしょう。
なぜなら、私たちはイエス様の生涯の中での祈りを知っているからです。
祈るイエス様がいるのです。ゲッセマネで、あるいは弟子を思う祈りの中で。
「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22章32節)。
「主の御心が行われますように」。
その祈りが道を開き、導いてくれます。
この先の初代教会、この先のパウロの道、開かれているのです。「主の御心が行われますように」との祈りを持って歩む、そのことが私たちに、主の御心として与えられているのです。あなたへの主の御心の道が開かれています。

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