聖書 あれこれ

息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物をはかせなさい。』             ルカ福音書15章21‐22節
11節から始まる「放蕩息子のたとえ」の結末です。
息子はどんな罪を犯したのでしょう。
服、履物、指輪。
それをみれば、だれでもがこの父親の息子に違いないと思う、しかし、それらを皆捨てていた、失っていました。罪を犯したことによります。
父=神。
この息子は「息子と呼ばれる資格はありません」と告白しています。
息子は、父(神)の子です。しかし、それを自らの罪によって、捨て去ってしまいました。「放蕩の限りを尽くして」(15章13節)。
その過ちに気づいた時、帰る決心をし、とぼとぼと惨めさを噛み締めながら戻ってきます。
その息子の帰還をひたすらに待っている父の姿があります(20節)。
そして、息子に駆け寄り、しっかりと抱きとめ、そして語った言葉が標記の聖書の箇所です。
西部劇の決闘のように、距離をとっての会話ではありません。
しっかりと抱きとめての息子の罪の告白、そして子の身分の回復のための衣装の用意を命じたのでした。
ローマ書13章14節に「主イエス・キリストを着なさい」とあります。この服もまた「放蕩息子」のように、愛のうちにあなたに用意されている、着せてもらう服なのです。

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