聖書 あれこれ

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。
エフェソ書6章10節
最後に・・・。
エフェソ書は6章まで。だから、本当に最後の言葉、語りたいことの全てです。
強くなれ、強くあってほしい、しっかりとこの時代を生きて欲しい、当然です。
迫害下、様々なものがのしかかってきます。
迫害下、不条理といっていいものがのしかかってくるのです。とても対抗できそうにありません。
だから「主に依り頼む」のです。それしかないのです。
出エジプト記、エジプトで苦しむユダヤの民の嘆きの声、「助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き・・・」(出エジプト2章23-24節)、救いのためにモーセが遣わされます。
私たちの発する嘆きの声、悲しみの声、それは主に依り頼む祈りです。
その祈りに、主は必ず応えて下さいます。
ステファノは、殉教します。「・・・信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ」(使徒8章2節)。
ステファノの7人の仲間(使徒6章3節)、また12使徒や他の者たちは、深く悲しみを抱え、それをすべて主に注いだのです。
初代教会の者たちは、「信じた人々の群れは心も思いも一つ」(使徒4章32節)でした。喜びは共に分かち合い、そして主を賛美し、悲しみも共にし、主に依り頼んだのです。それが初代教会を支えその歩みを導いたのでした。
私の中の思いは、私の中だけにとどめておいてもいいでしょう。でも私の中の悲しみは、主に祈る言葉として注ぐこととし、主に依り頼むことにいたしましょう。
CSC_0528

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