聖書 あれこれ

聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
2テモテ3章16節
裸の王様。
鏡の役割は、自分の姿を少しばかり客観的に見るのに役立つものです。
裸の王様の世界にも鏡はあったでしょうが、役に立たなかったようです。
裸の王様は、見事に、阿呆な者には見えない布地と言われて騙されてしまいました。
正しい鏡があれば、騙されもせず、恥ずかしい姿で行進もしなくてすんだろうに。
裸の王様は、阿呆な者には見えない布地と言われて、戸惑ったのです。外見は、王様ですから、きらびやかに着飾っていました。でも、内側については自信がなかったのです。だから騙されてしまったのかもしれません。
聖書は内側を映す鏡です。最初は恐る恐るということもあるでしょう。でも見続けると、「教え、戒め、誤りを正」されていきます。そして愛着と自信がわいてきます。
人は愛されることによって自信がわいてくるものです。聖書という鏡を見ていると、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ福音書3章16節)がよく分かってきます。
ああ、私のことなのだと。
ピオーネ2013

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