聖書 あれこれ

こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。
フィリピ2章16節
アイデア。
こっちのものをあっちで使うと生きる場合があります。
こっちでは使い物にならなかったものが、あっちでは見事に必要という場合があるのです。
アイデアの勝利です。
しかし、このアイデアも、一切を無駄にしない、むだなものは何一つないという考えが最初にありませんと、閃かないかもしれません。
走っている時、労苦している時、あまり先の先まで思いを凝らして考えることは難しいかもしれません。
でも、と聖書は語ります。
今日の出来事、昨日の出来事、一昨日の出来事、明日の出来事、すべては「キリストの日」につながっています。何故なら、今日も、昨日も、そして明日にも、私たちがそこにいるからです。中心で労苦し励んでいるからです。
徴税人のマタイは、収税所に座っていましたが、マタイの昨日までを明日に生かすのは、イエス様です。イエス様以外、マタイを生かす方はおりません。
私たちにもイエス様がいます。
イエス様は、昨日の、一昨日の、今日の私を明日用いられます。一緒に、キリストの日に、あなたが誇る姿を見るためにです。そのために、キリストの日を待ち望んで、今日を生きることといたしましょう。
明日への希望を抱いて、一日を終えることといたしましょう。
CSC_0387

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