聖書 あれこれ

だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」      ローマ書8章35節
キリストの愛は、私たちの中にあります。
「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」(1コリント3章16節)とあるように、イエス様は私たちの体を神殿とし、我が内に住んでいるのです。キリストの愛は私たちを住いとされる、だから引き離すことなどできないのです。
使命やなすべきことがあると、私たちはその実現のために努めて励みます。多少の困難があっても、何度もチャレンジしていくでしょう。沸き起こる勇気があるのです。
キリストの愛があるから、私たちはあらゆる地上で起こることに落胆し引き離されることはありません。
何故なら、イエス様は、この地上で起こるすべてのことに勝利なさっているからです。
「この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。『死は勝利にのみ込まれた』」(1コリント15章54節)、「死の陰の谷を行くときもわたしは災いを恐れない」(詩23編)と語られるのは、そのことを表しています。
キリストが我が内におられる、住んでいる。
私たちの勇気は、この愛に励まされ、支えられ、力を与えられるのです。
「弱った手に力を込め、よろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。『雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる』」(イザヤ書35章3-4節)。
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