聖書 あれこれ

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疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。               マタイ福音書11章28節
体力検査や血液検査など、各種の検査はその人の年齢などから、標準的な好ましい数値というのがあるようです。
走るスピード、ボールを投げる飛距離、さてどのくらいが標準で、それに達しないというのは、これも一つの重荷ということでしょうか。
もしかしたら、あらゆる検査を受けますと、たくさんの標準に満たない重荷が数多く出てくるかもしれません。
また、もしかしたら、アンケートなるものも、一つの標準を計る物差しなのでしょうか。
その人の、結論に至るまでの時間が長い短い、考える力があるようなないような、読みが甘い浅い、これも背負っている重荷の一つでしょうか。
数えたらぞっとするほどのものを背負っているかもしれません。
自分のことだけでも大変なので、隣人の分まで持つことができません。
人が背負う重荷は、千差万別、いろいろです。
イエス様はそういう重荷を負う私たちを招いています。
どこかの誰かのところでは、休まるどころか苛立つこともあります。
イエス様だけ、ここが最後の最後で、そこが私の砦となります。
この砦は「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い 、魂を生き返らせてくださる」(詩23編2-3節)ところです。

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