聖書 あれこれ

神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。  1テサロニケ5章9節
定めとは…
決まり、規則、決定、運命など。動かしようのないものということでしょう。
選果場などで、機械がどんどん規格外の果実を選果して落としていきます。有無を言わさぬ速さです。
自分が選果場の果実のように選果されて落とされていくとおもいますといやな気持になりますが、選果場の選別機のような振る舞いはしているかもしれません。
さて、私たちにはどんな「定め」があるのでしょう。
神の怒りは、罪ある人に定められており、動かしようもない、それは誰しもが知っていることでしょう。
私たちは、しかし、望まない罪を犯している現実があります。ローマ書7章20節に「わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです」とあります。
罪に引きずられて罪を犯す。
私たちにあるのは、キリスト・イエスによる救いです。
私一人であればなんとも心もとないものです。
しかし、私たちを「キリストによる救いにあずからせる」と定められたのです。
定めは、公になりますと、定めを定めた人も従わなくてはなりません。
私たちは、選果場ではじかれる果実ではなく、最後のところまで到達すものです。
私の定め、それは朽ちることのない栄光の冠です。
CSC_0592

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