聖書 あれこれ

はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。 ヨハネ福音書12章24節
一粒の麦は地の中で、根が生え芽を出し、一粒の麦としての形を失い、やがてたわわに実をつけます。
このたとえ、イエス様のたとえです。
イエス様を最初の一粒の麦とすると、イエス様の十字架の死によって、どんな実が結んだのでしょう。十字架は贖いの死、私たちは罪を自覚することが多いのですが、その結果をイエス様が引き受けてくださった、罪は犯すが結果は引き受けなくてよいという実りを得たのでした。
イエス様の3日の後の復活、それは新しい命を得たということですが、その命はイエス様だけが命を得たのではなく、初穂、最初の実がイエス様で、次の実は私たちであることを約束する、それが復活の恵み、復活の命です。
イエス様の復活が初穂とすると、次はペトロでしょうか。ペトロは弟子筆頭でありながら、最後までイエス様を守ると言いつついざとなると逃げ出してしまいました。
次の実りはパウロでしょうか。パウロはキリスト教徒の迫害を指揮するほどの熱血漢でした。殴ったり牢屋に投げ込んだりの活躍です。
その二人をイエス様は十字架の死で贖い、復活の命へと連ならせました。非難しなかったのです。愛されたのです。
二人は、やがて、殉教の死を遂げます。それまでの間、人々に一つのことを現しました。イエス様はこの私を愛してくださったと。
人は善を行うから評価されるのでなく、イエス様は、丸ごと愛してくださいます。
その証しは、今日まで続いています。皆が何番目かの麦なのです。麦を見て麦となるのです。私たちは何を見て、歩んでいくのでしょう。
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