聖書 あれこれ

2013梅
あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。        ガラテヤ4章7節
奴隷≠子、子=相続人。
4章1節には、「相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても…」とあり、未成年の時は、全財産を所有する権利はあるけれども、いまだ持っていない状況と語ります。
内外の法律ですと、被相続人に対して相続人が犯罪を犯すと相続権を失うものですが、キリスト教ではどうなのでしょう。罪を犯した者は、相続権を失うのでしょうか。
答えは、NOです。
ルカ15章11節以下に「放蕩息子のたとえ」があります。
放蕩の限りを尽くした息子は、やがて「我に返った」(17節)のです。
そこで、父のもとに帰ることを考えます。むしのいい話です。「父のところに行って言おう。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください』と」。
息子の資格はダメでも、雇人ならいいだろうということです。
父の反応は違います。「食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのにみつかったからだ」(23-24節)と言って「履物を履かせ」、「良い服」を着せ、「手には指輪」と至れり尽くせりです。息子として遇したのです。
息子は、子として遇されないと思った、ここに息子の思慮のなさがあります。それは、しかし、キリストの前のすべての人の思慮のなさです。
キリストの愛は、思いも及ばない愛です。
思いも及ばない愛が、聖書の至る所にあって、私たちに語りかけてきています。
聞くこと、そこに子としての道があるのです。

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