聖書 あれこれ

都電のある風景2013わたしは心配しています。そちらに行ってみると、あなたがたがわたしの期待していたような人たちではなく、わたしの方もあなたがたの期待どおりの者ではない、ということにならないだろうか。
コリントの信徒への手紙二12章20節
大江健三郎の「定義集」という本の中に「後期の仕事」(レイト・ワーク)という言葉があります。人それぞれに後期の仕事があります。
パウロの「後期の仕事」は、伝道することです。各地を訪ね、手紙を書くことです。「後期の仕事」は、「心配すること」であったかもしれません。
パウロは、自身の過酷な、あらゆる難に出会った伝道についても記していますから、「後期の仕事」は、自身のことを心ある者たちに「心配させている」ことも仕事の一つであったかもしれません。
仕事が新たなものを産むとするならば、「心配」は「わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください」(ローマ15章30節)とあるように、祈りを産みます。パウロは祈り、また多くの者がパウロのために祈ります。
アメリカの財政の壁に関連するニュースの中で、ある議会関係者が、祈ったということで、ニーバーの祈りの一節が伝えられていました。
「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ」(大木英夫訳)。
祈りは、冷静と知恵を産みますが、それは霊性によるものでなければなりません。霊性は、祈りによってのみ、与えられるものです。
パウロの「後期の仕事」は、そこに仕える仕事ともいえるでしょう。
私たちの「後期の仕事」が始まっています。
「しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます」(1ペトロ5章10節)とあります。
知恵と冷静(霊性)を得る、ここへの到達への奉仕こそが、祈る者の「後期の仕事」にほかなりません。
生と死を巡る心配事の中にある救いは、人をして祈る者へと導き、この先にこの知恵と冷静(霊性)を得ることができるというところにあります。

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