聖書 あれこれ

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すべてのものをお造りになった神の内に世の初めから隠されていた秘められた計画が、どのように実現されるのかを、すべての人々に説き明かしています。
エフェソの信徒への手紙3章9節
クリスマス。
この言葉から何を連想するでしょう。
ケーキ、プレゼント、休みがない、御馳走、誰と一緒?、イエス様の誕生日、などなど。
時差の関係で、日本では世界のクリスマスを報道などで、クリスマスを過ごした翌日に知ることになります。世界では、こういうようにクリスマスを祝っている、違うなあと思うことも、似ているなあと思うこともあります。
クリスマスは、神の計画に基づいて行われます。
クリスマスの劇の盛り上がる場面の一つは、宿屋の場面です。
マリアとヨセフ、旅の途上、「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの止まる場所がなかったのである」(ルカ2章6-8節)。
宿屋は、人のいるところ。飼い葉桶は、生まれたばかりの子にとって、いるところではないのです。
宿屋、大勢の人でいっぱいでした。賑やかで華やかな旅の宿であったのでしょうか。当時、人々は生まれた町に行って住民登録をするための強いられた旅で、あまり余
裕も優しさも無い人たちが一夜を過ごしていたのでした。無理もないことでした。
強いられる、動かされる、何かの力によって。揺るがない場所に立っていると思っても、何かに動かされると思う時があります。川面に浮かぶ葉の如しでしょうか。
クリスマス、秘められた救いの計画は、この宿屋のすぐ近くで始まりました。救いの計画は、相手を必要としています。
主なる神様の相手は、間違いなく、泊まる場所を提供しなかった、彼らです。彼らこそが救いの計画の目的なのです。

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