聖書 あれこれ

神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。                  ローマの信徒への手紙3章25節
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。               コリントの信徒への手紙一6章20節
罪の贖い、買い取り。
人は、罪の場所から、買い取られて今ある場所へ移されたのです。
買い取りは、同等の価格でなければなりません。
「私」は、どれほどの価値でしょう。
旧約聖書には、罪を贖うための供え物として、贖罪の献げ物として、雄牛が記されています。
そうすると、「私」=「雄牛」となります。
高級な牛と言われる松坂牛があなたと同価といわれて、さて考え込んでしまいます。
聖書は、私たちの罪を問いますが、同時に私たちの価値についても語っています。
私たちの贖いは、イエス・キリストによるとあるのです。
「罪を償う供え物」=「代価を払って買い取られた」=「イエス」=「私」です。
主なる神は、私を買い取るためにわざわざ出向かれ、同等の対価を支払った、その対価は、牛ではないということです。牛以上のものである、御子でしかないということです。
私たちは、それほどの価値がある、きっと忘れがちな、自分に対する知識です。

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