聖書 あれこれ

あなたがたは、自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのか。
1コリント6章15節
私たちは、キリストの体の一部分。
体の一部と言っても、一部もたくさんあるし…そう考えるとややこしくなります。
心臓と他の臓器では違いはあるのか。
語られているのは、キリストと一体と言うことです。
1コリント6章14節に「神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくださいます」とあります。
一体であるということは、例えば、次のように言うことも出来ます。
「猫は頭が通れば体も通る」。
俗説のようで必ずしもそうではない時もありますが、キリストが頭で、私たちが手足ならば、まさに復活の時にこそ、このキリストとの一体性が大きな意味を持つということです。
1コリント6章20節に「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」とあります。
私たちとキリストとの一体性は、私たちが求めて関係が成立したのではありません。もしそうなら、何か私の方に不都合が起きれば、一体性は維持できなくなるかもしれません。
「代価を払って買い取られた」ことによる関係は、キリストの方から求めての一体性です。これは、何か私の方に不都合が起きたとしても、変わることなく維持される一体性です。
私たちは、いつも不都合を抱えているようなものなのですから。

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